無慈悲な夜の女王に捧げる賛歌

 月を舞台にした小説というから、壁一枚隔てて真空の地表が広がっているという緊張感か、地球の6分の1という低重力がもたらす異化作用といったものが、全編にあふれていると期待した。それが長くSFを読んできたものの、当然の反応というものだろう。

 しかし鎌田秀美の「無慈悲な夜の女王に捧げる賛歌」(アスペクト、2000円)には、月という舞台が持った緊張感とか違和感といったものが微塵もない。それでいて地球では決して存在し得ない、清潔のようで猥雑な、整然としているようで混沌とした「月都市」を描き、そこに生息する貴族と宗教家と非差別民と刑事とテロリストの生態を描き出している。

 主人公は警部補のアレック・テオ。かつてアレクセシス・テオドキラスと呼ばれていたころ、彼は「若き巨匠」と呼ばれた天才ピアニストとして活躍し、その美しい旋律で〈貴族〉たちを魅了していた。しかしエレンピオ音楽祭の夜、出席していた〈教団〉の教皇ペテロ6世を狙ったとみられるテロによってテオは全身に大火傷を負い、2度とピアノを弾けない体となった。

 テロによってテオは、唯一の肉親である弟のクリストフ、非差別民として貧困にあえいでいたテオとクリストフの兄弟を助け上げて面倒を見たアレフ・メラルド師、そしてテオの天賦の才を認めて彼を庇護したハンス・シュトルム卿といった、親しい人々をすべて失ってしまった。自らも瀕死の重傷を負ったテオを、ミスティカ財団なる謎の組織が救い出し、外側脊髄視床路の一部を切断するというかつてない手術によって介抱した。

 全身が偽膚(フェイクスキン)のパッチワークとなりながも、生きながらえたテオは、復讐に燃えて警官となり、月都市をおびやかす〈詩人〉や〈土鼠(もぐら)〉といったテロリストたちと闘っている。その日もテオは、〈血の日曜日〉と呼ばれるようになった、テオが巻き添えをくらったテロの再調査を画策する〈貴族〉、ロバート・ウィンストン卿がテロリストによってさらわれ、殺されかけた事件を追って、怪我を負って病院に収容されたウィンストン卿を訪ねる。

 「記憶はすべてを語る。いかに巧妙に隠蔽したとしても」(89ページ)。別れ際に卿の発した言葉を気にしつつ、病室を後にしたテオを出し抜いて、謎の暗殺者が卿を血祭りにあげる。事件の責任を負って左遷され、教団のある街のエンピレオ分署へと派遣されるテオだったが、そこでテオを待ちかまえていたのは、姿無きテロリスト〈詩人〉による、歳月をかけて練り上げられた周到にして容易にほどくことの出来ない罠だった。

 決して姿を見せない理念先行型のテロリスト〈詩人〉、表に別の顔を持ち、裏では先鋭的な暴力組織を指揮する行動重視型のテロリスト〈土鼠〉。同根ながらも今は対立している2人のテロリストの間にあって、テオは〈教団〉が一手に握る〈眠り(ヒュプノ)〉と呼ばれる麻薬の秘密に、知らず知らずのうちに近づいていく。〈教団〉の恐るべき秘密が明かとなり、その〈教団〉の既得権益を脅かす集団が勃興し、やがて〈詩人〉の正体が白日のもとにさらされるラストシーンに向かって、すべてのパズルのピースが、ひとつ、またひとつとはまっていく感触を味わいながら、次々とページをめくっていく。

 地球を〈大滅亡(ダイオフ)〉へと追いやったのは、資本主義の発達がもたらした、必然的な貧富の差だったのだろうか。それとも共産主義の発達がもたらした、慨然的な独裁の恐怖に起因するものだったのだろうか。どちらにしても地球は滅び、移住した先の月の都市でも、産業資本主義による統治が富と権力の集中を生み、富めるものと貧するもの、支配するものと支配されるものとの差をいや増す状況が現出している。

 滅びの道をいままた進まんとしている人間という種が、その生存を願って無意識のうちに選びとった道が、「無慈悲な夜の女王に捧げる賛歌」の結末で示される、1つの光明の出現だとしたら、人間もまんざら捨てたものではないと、そんな気持ちにとらわれる。あるいは月世界を巨大な孵化器に見立てんとした、人間をはるかに超える高次の存在の、見えざる手が作用しているのかもしれない。

 与えられた最後のチャンスを、月世界の人々は生かすことができたのか。それは永遠に語られることはないが、今はただその未来が、明るいものであったこと、〈大滅亡〉の縁にあるわが身を省みつつ、切に願うのみである。 


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