蒼ざめた街 モダン東京1

 昭和40年代が舞台となった二階堂黎人さんの「二階堂蘭子」シリーズは、うっすらと残る同時代の記憶が作品への親近感を抱かせる。昭和20年代後半が舞台の京極夏彦さんの「京極堂」シリーズは、戦後の混乱期を抜け出した日本が、成長期に向かおうとする狭間のまだ薄暗さの残る時代を感じさせてくる。

 そして、藤田宜永さんの「モダン東京」シリーズは、これら2つのシリーズをさらにさかのぼった、大正デモクラシーの活気を引きずりつつも、軍靴の足音が響き始めた昭和ひとケタ代半ばという時代を、1人の探偵の活躍を通して垣間見せてくれる。明治、大正を経てもなお残る江戸時代の残滓と、近代国家としての地歩が固まりつつあった昭和という新しい時代とが混在する、不思議な空間がそこに現出する。

 かつて集英社から刊行された「モダン東京」シリーズが、朝日新聞社の書き下ろし単行本として復活した。この本「蒼ざめた街」(1900円)は、過去3作よりも古い時代を描いた「シリーズ第1弾」。アメリカ帰りの秘密探偵「的矢健太郎」は、怪しげな美女の依頼で謎の枕絵師を探す仕事を始めまるが、手がかりとなる人物が次々と死に、当代1の人気画家や、スポーツ・パークの建設に情熱を燃やす斜陽の男爵らが現れて、探偵をより複雑な方向へと連れていく。

 的矢健太郎という探偵の、キザともタフともいえないキャラクターは、超個性的な探偵があふれかえるミステリー界にあって、決して目立った存在ではないだろう。しかし探偵は、持ち前の行動力と、行動によって得られた情報から真実を紡ぎ出す頭脳力によって、「モダン東京」のナビゲーターという役割を踏み越えて、次第に存在感を増していく。

 そんな主人公の脇を高めるキャラクターたちの、何と個性的なことか。事件のほったんとなった以来を持ち込んだ妖しげな美女は、情念のカタマリとなって、移り行く程度の闇を生きている。スポーツだけが人生の拠り所となった男爵は、息苦しさを増しつつある時代の雰囲気にのみこまれて滅び去る。10歳以上も歳の離れた女性と暮らす人気画家は、芸術家としてくらしながらも、隠蔽した過去に怯えおののく。

 もつれた過去をときほぐすために、探偵はシトロエンに乗って帝都をかけめぐる。出会いと別れの果てに、探偵は古き良き「モダン東京」から、来るべき暗黒の時代へと、すこしづつ足を踏み入れていく。

 既刊の3作品も、同じ朝日新聞社から加筆訂正の上7月、8月、9月と続けざまに再刊されるという。「蒼ざめた街」で初めてこのシリーズに接した身には、何とも楽しみな3カ月になりそうだ。こんな時ばかりは、山のような傑作群・秀作群を新たに読めるという、遅れて来たミステリー・ファンとしての僥倖を感じる。


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