ミステリと東京

 誕生して2008年でちょうど140年。「東京」ほど大きく変わった都市は、世界でも珍しいだろう。

 この50年だけでも、太平洋戦争の焼け跡から立ち上がった家並みに高速道路が覆い被さり、追い越すように高層ビルが建ち並んで空をどんどんと狭くしていった。往事を知る人たちが、高速道路に川面を暗くふさがれた日本橋に、青い空を取り戻したいと活動している話も伝わっている。

 21世紀に入っても変貌は止まるところを見せない。国内外から大勢の人が押し寄せ、郊外に住宅が広がり繁華街は外国人であふれ、湾岸では再びの「東京オリンピック」を開こうという計画が進んで、さらなる変化を予見させる。  変わり続け、今もな変わり続けている東京。だからこそ起こり得るさまざまな事件の舞台として、さまざまなミステリのなかに描かれて来た。

 たとえば新宿・歌舞伎町。台湾や中国から来たやくざが勢力を伸ばし、やがて中近東や南米からもやくざや娼婦が流れ込むようになった街では、昔の日本にはなかった陰惨な事件が起こっている。

 そんな歌舞伎町を舞台に、20年近く書き継がれている大沢在昌の「新宿鮫」シリーズには、犯罪の国際化と凶悪化という東京に広がり始めた闇がのぞく。未来を予見したような物語が、これから描く歌舞伎町にはいったいどんな闇が、広がっているのだろう?

 京極夏彦は、中禅寺秋彦や榎津礼二郎、関口巽らが活躍する一連のシリーズで、戦後から間もない頃の東京に、混乱と喧噪から生まれる猟奇をとらえて描き出した。篠田節子は、「絹の変容」で人口の流入著しい郊外で生まれる新旧の対立を切り取った。

 この50年の間に起こった激変への倦怠は、郷愁となって過去の東京が舞台となった物語を、作家たちに描かせる。藤田宜永が探偵を駆け回らせた昭和初期のモダン都市が、夢にあふれた高度成長期への回顧をうながす。

 神保町の古本街。演芸の都浅草。東京の各所が舞台のミステリから東京という都市の空間的・時間的変容を見た評論集が川本三郎「ミステリと東京」(平凡社、2400円)だ。

 新しいものばかりではなく、松本清張が描いた高度成長へと向かいにぎわいつつも陰が生まれ始めた東京もあれば、海野十三が架空のT市になぞらえた、喧噪を裏返した静寂と想念に満ちた夜の東京もある。

 島田荘司が切り結んだ、大変貌を控え爆発しそうな東京もあり、宮部みゆきが切り取った、巨大化したが故に進む関係の希薄化が事件を生む東京もある。

 世界的な大都市。文化と政治と金融と経済の街。最近ではグルメの街としても脚光を浴びた東京。そんな、誰もが既に知る東京を見る目に「ミステリと東京」は、小説の舞台という新たな視点を与えてくれる。

 そして同時に、東京が140年の間にたどってきた、あらゆる面での変容ぶりを知ることになる。今も東京に暮らす人も、東京に憧れている人も、「ミステリと東京」を読み、紹介されている原典をたどって読めば、既知の街に更なる陰影が浮かび、未知の街に多彩なイマジネーションを覚えるだろう。


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