ミサキラヂオ

 2050年の日本がどうなっているかを想像しても、超高層ビルが列島の隅々まで建ち並んで、その間を超高速鉄道が行き来しているような“未来的”な光景なんて浮かばない。

 経済は停滞し人口は減る一方。100年前に自動車の量産が始まったり、この10年くらいでネットや携帯電話が普及した時のような、暮らしに大きな変化をもたらす発明が起こる気配もない。発展どころか衰退へと向かっているなかで、どうにか現状を維持しようとあがいている。そんな社会像が浮かんでくる。

 40年経っても、今と変わらない毎日が繰り返されるだけ。それはつまらない未来かもしれないけれど、考えようによっては、これほど幸福な未来はない。止まない紛争で、毎日大勢の人が死んでいく地域もあれば、失業した人が、住む場所もなく都市の路地にあふれかえっている地域も世界にはある。

 苛烈さを増す世界にあって、今より素晴らしいものではなくても、今と同じような平穏を得られる幸せ。今を保ち続けていくことの大切さ。チューバ吹きの女性が主役になった「チューバはうたう −mit Tuba」で太宰治賞を受賞した瀬川深が書き下ろした、初めての長編作品「ミサキラヂオ」(早川書房、1800円)からは、そんな気分が漂ってくる。

 舞台になっているのは2050年ごろの日本。太平洋につきでた半島の先にある「ミサキ」は、開発から取り残され、かといって過疎になることもなく、漁業や農業や水産物の加工業で暮らしている人たちがいて、都会からリタイアして来た老人たちもいて、そんな人たちを相手に商売をする人たちがいて、毎日を普通に送っている。

 さらに10年経っても、きっと変わらないだろう平凡な暮らし。そこに、ちょっぴりの刺激がもたらされる。ミサキで水産物加工会社を経営する男が、臨時収入を使って小さなFMラジオ局、ミサキラヂオを立ち上げたのだ。

 最新のヒット曲が間断なく流されるような、都会のラジオ放送とは違って、番組編成はきわめてローカル。地元でフリーターをしていた青年が、DJタキと名乗ってハガキを読み、リクエストをかけたり、土産物屋をやりながら歴史小説を書いていた男が、自作の小説を朗読したりする。

 農業を継いだ青年が、こちらは自作の詩を朗読するといった番組も。地元と無関係の人が聴いても面白いものではないけれど、ミサキの人たちにとってミサキラヂオは、暮らしにうるおいをもたらしてくれる存在になっていく。

 リクエストが読まれれば嬉しがり、ご近所に暮らす人の声が流れれば親しみを覚える。ラブホテルや老人ホームを経営する男は、演歌を作詞し金にあかせて歌手に唄わせ、それをラジオで聴いて悦に入る。ささやかであっても、自分の成したことが誰かによって確認される喜びを、小さなラジオ局がもたらした。

 都会で人気バンドのキーボードに抜擢されたものの、妬みを浴びて心を壊し、ミサキにある自宅の部屋にひきこもってしまった女も、ネットや電波を通して集めた古今東西の音をサンプリングして音楽に仕立て、ラジオで流してもらうことで、心の平穏を取り戻していく。世代も属性も実に多彩な登場人物たち。そんな人たちのエピソードによってつづられたミサキの春夏秋冬が、毎日を確実に生きていける嬉しさを感じさせてくれる。

 DJタキの話が農業青年の話になって、土産物屋の店主の話に移ったりと、語られる人物がくるくると切り替わっていく文体は独特だけれど、不思議と読みづらさはない。ひきこもっている女は、いったいどんな音楽を作り出すのか。都会からやって来た漫才師と、ミサキの女子高生との関係はどうなるのか。

 ある登場人物が持っている魅力的なエピソードがひととおり語られたあとに、次の登場人物のエピソードへと移っても、さっきのエピソードはどこに続いていくのかといった興味は、次の登場まで記憶にしっかり残される。

 積み重ねられていくエピソードを追いかけているうちに、しっかりとページをめくらされる。結論だけが分かればいい物語にはない、1行づつ、1ページづつを読んでいく楽しを持った小説だ。

 平穏なミサキでの暮らしが、絶対に正しいんだと訴えてくるようなメッセージ色はないし、ミサキを襲う大災害に、住民たちが一致団結して立ち向かうようなスペクタクルもない。それでも、読み終えたとき誰でも、こんな暮らしも悪くないと思うだろう。

 放送されたミサキラヂオの電波が、時間を置いて戻ってくるミサキの不思議な現象は、ちょっと前に自分が抱いていた思いを蘇らせ、今立っている場所を感じさせ、そこからの1歩を間違わないようにと諭してくれる。同じように「ミサキラヂオ」の物語は、どうなってしまうか分からない40年の未来から、今という時代の良さに気づかせてくれる。

 ミサキの老人ホームに暮らす人たちのように、覚え溜めたアニソンの知識や、鍛えられたギターのテクニックを、老いてから世の中に開陳したい人も、子どもや孫たちが、静かに生きられるミサキのような場所を残しておいてあげたい人も、「ミサキラヂオ」で語られた未来から、今のかけがえの無さを感じ取り、間違えないために何をしたら良いのかを考えよう。


積ん読パラダイスへ戻る