美濃牛
MINOTAUR

 高山や下呂、白川郷といった全国的に名の知れた観光地や保養地を持つ「飛騨」に比べると、同じ岐阜県でも「美濃」が醸し出す雰囲気にはどこか中途半端さがつきまとう。名古屋には都会度ではかなわない。自然度では「飛騨」に負ける。土岐の焼き物、関の刃物はまあなかなか、でも工業とも工芸ともつかない中途半端さはまさしく「美濃」のおかれた状況を示している。瑞浪のデスモスチルスはちょっとソソるけど。

 加えて「牛」だ。小渕前総理を「鈍牛」と呼んだことにも表れているように、精悍さや知的といったイメージから「牛」はちょっと外れている。中途半端な「美濃」に鈍重で暗愚な「牛」。この二つが組み合わさった「美濃牛」の字面から受ける印象は、どう頑張ってもエレガントな物にはなり得ない。

 にもかかわらず殊能将之は、アクロバティックな言葉の技によって読む者を翻弄させた「ハサミ男」に続く第2作「美濃牛」(講談社ノベルズ、1300円)で、今っぽさに逆行する土俗的なイメージを持つこの言葉を、「MINOTAUR」すなわちクレタ島の迷宮に封印された牛頭の魔物「ミノタウロス」と関連づけることで、土俗的でありながらも西洋的な神秘性を醸し出す、不思議な雰囲気をまとったホラーに仕立てあげてしまった。

 フリーライターの天瀬とカメラマンの町田が雑誌社から仕事を請け負った。それは岐阜市から車で1時間半ほどの山間部に位置する、洞戸村の暮枝という地区にある鍾乳洞で発見されたという「奇跡の泉」の取材あった。末期ガンと診断された女性が静養に訪れていたコミューンのそばにあったその泉に浸かったところ、たちどころにガンが直ったというのだ。

 取材をアテンドした、ディダクティブ・プロデューサーという肩書きを自称する石動(いするぎ)戯作の案内で、天瀬と町田はライター村を訪れる。そこで彼らは、泉を中心にしたリゾート開発の計画が持ち上がっており、石動がプランナーとして開発に関わっていることを知った。しかし泉がある場所は、飛騨牛の育成にすべてをかける羅堂真一が動こうとせず、リゾート開発は思うに任せない。

 真一の弟たちが抱くリゾート開発が落とす金への思惑や、まだ存命の真一の父親の存在が交錯するなかで、惨劇が幕を開ける。最初に真一の長男、哲史が首を失った姿で死体となって発見された。そして第2、第3の事件が起こり羅堂一族の者が次々と殺されていった。童謡になぞられられたような殺人が起き、村長と村学者と旧家の実力者と田舎刑事が登場しては右往左往する、という設定には横溝正史の「獄門島」なり「八つ墓村」が思い起こされる。

 西洋の宗教を題材にした神秘的な設定を日本ならではの土着的な風俗に組み込み、西洋の探偵小説が持つモダンな雰囲気を日本の土俗的な風土にエクストラポートして独自の作風に仕立て直した横溝へのオマージュが想起させる。仰々しくも「鬼の顎」と付けられた鍾乳洞なども実に横溝的。これで探偵がぼさぼさ頭をかきながら登場すれば、そこは数ある横溝作品の舞台となった戦中戦後の瀬戸内海の島なり岡山の山間部といった場所かと思えて来る。

 だが時は現代。書いているのも現代人。モダンな西欧を翻案してプリミティブな日本に外挿した横溝の世界を、殊能将之はさらに現代の新本格ミステリーの世界に挿入しては、迷信など気にせず土地への執着もなく先祖への慈しみ持たない現代人の、醜くも欲望にエネルギッシュな姿を活写して見せる。

 あだ名ばかりの村長、村おこしに燃える元不良、喧噪を嫌う割には通俗的なコミューンのリーダー等々。運命に、迷信に、柵に、信念に突き動かされていた横溝世界の登場人物たちに比べて何と通俗的であることか。そんな上っ面ばかりの人間たちを見透かし嗤うような内容を、中途半端なタイトルがまさに象徴しているとは言えなくはないか。

 読み終えて展開の面白さはなるほど一級、「ハサミ男」でも魅せた文章は衰えるどころか冴えを増す。石動という男のどこかつかみ所のないキャラクターも目に心地よく、ラストシーンで明らかになる謎の何とも錯綜した状況にも、数ある新本格ミステリーと互して語られるだけの意外性はある。とはいえ似せようとしたが故に「横溝的」な雰囲気が強くなってしまい、オマージュというには表層的過ぎるが、かといってパロディというには「殊能的」な力技に物足りなさを覚える。笑うにはストーリーテリングが巧み過ぎるのだ。
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 それでもインフレする奇想とどんでん返しと性格破綻な探偵の群を見せられ続け、肥え歪んでしまった目には、この程度の「ヘンさ」の方が、かつて横溝作品を読む時に感じた「ワクワクドキドキ感」を思い浮かばせ、取り戻させるにはちょうど良いのかもしれない。ここから本格的に横溝へと進むも良し、あるいは物語力の冴えを魅せた殊能の次なる奇手に瞠目してみるのも良いだろう。

 今の時代に新たに示された過去と未来とをつなぐ「探偵小説」の道標として、まずは「美濃牛」から始めようではないか。


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