緑の少女
THE COLOR OF DISTANCE

 未来の地球を舞台に、無垢の魂を持って生まれたアンドロイドの少女が、襲いかかる困難に打ち勝って成長していく様を描いた「ヴァーチャル・ガール」(ハヤカワ文庫SF)で、日本中のSFファンの前に躍り出たエイミー・トムスンが、今度は遠く異世界を舞台に、ひとりの異星人の少女と、ひとりの地球人の女性科学者が出会い、おとずれる試練を乗り越え、生き抜いていく様を描いた「緑の少女」(原題「THH COLOR OF DICTANCE」、田中一江訳、ハヤカワSF文庫)で、日本のSFファンの前に、ふたたび戻って来てくれた。

 あれだけの感動と喝采を浴びた「ヴァーチャル・ガール」の後だけに、前作によって受けた感銘を、新作によって損なわれる恐れがあるなどと懸念している人がいれば、声を大にして言っておこう。間違いなく「緑の少女」でも、あなたは生命が理解し合うことの難しさを感じ、それを乗り越え理解し合えた時の嬉しさを味わうことが出来る。なにも心配せずに、美しい緑の木樹が描かれた表紙を、そっとめくるだけで良い。

 舞台は緑の森林に覆われた惑星。異なる世界の花粉やバクテリアや微粒子などによってもたらされる致命的なアレルギー反応によって、地球から惑星探査に訪れていたひとりの女性生物学者が、瀕死の状態で倒れていた。地球人の探査では、知性を持った生命体はいないと思われていたその惑星だったが、うっそうと茂る森の下には、村落を作り高い知恵を持った生命体の種族「テンドゥ」が暮らしていて、そのなかのアニという名をもったひとりの少女が、倒れていた生物学者のジュナ・サアリを発見した。

 手首についた針を伸ばして差し込み合うことで、他の生命体とコミュニケーションをとったり、相手の病を治癒する能力を持った「テンドゥ」は、まだ息のあったジュナの体を、その星に生きる自分たちと同じ体へと変化させて、生き延びさせることに成功した。

 高い木の上で目覚めたジュナは、自分の体が長い鉤爪を持ち、体色を変化させらえるように変わっていることを発見する。そして傍らにすわった、カエルにも似た緑色の体を持った生命体、すなわち「テンドゥ」と「ファースト・コンタクト」することになる。生物学者として、目の前に登場した知的生命体をはじめ、惑星に生息する鳥や虫や木樹たちに並々ならぬ関心を抱くジュナだったが、いっぽうで人間とは似てもにつかない体にされたことや、針を差し合う「リンク」という行動に馴染めないことなどから、アニの種族たちになかなかとけ込めずにいた。

 いっぽうアニの方も、シティック(師)であるイルトが死に、成人してアニタとなることを余儀なくされてしまう。早すぎる成人にとまどい、その遠因がジュナにあると思って、種族の慣習に従ってジュナの面倒を見なくてはならない立場にありながらも、アニタはわだかまりを捨てきれずにいた。やがてジュナを運んで来た宇宙船(その名も「小谷丸」)が、ジュナを置いて飛び去ってしまい、次に宇宙船が訪れる4ー5年先まで、ジュナは惑星で暮らし続けなくてはならなくなった。

 「テンドゥ」の種族の中から、高い知識と判断力を持ったものだけがなれる「尊者」として、ジュナの仲間たちが引き起こした災厄を治めに来たユカトネンと出会ったアニタとジュナは、ユカトネンの導きによって次第にお互いを理解し合っていく。「テンドゥ」の慣習を知らないジュナによって、アニタは思い描いていた未来を捨てて、ユカトネンと同じ尊者の道を選ばねばならなくなる。落ち込んだり、嘆いたりしながらも、それをもうひとつ別の未来だったと受け入れていくアニタの葛藤する様は、困難に打ち勝ち進んでいくことへの勇気を与えてくれる。

 生物学者でありながら、「テンドゥ」たちの慣習を受け入れられずに戸惑い、失敗を繰り返していたジュナの方も、自分を思いやるアニタやユカトネン、そして成りゆきから自分のバミ(弟子)にしてしまったモキに心惹かれるようになり、置き去りにされた悲しみを乗り越え、やがてふたたび訪れる「セカンド・コンタクト」に備えて、地球のことを「テンドゥ」たちに教えるようになる。理解することの難しさを乗り越えて、受け入れることのすばらしさを、そこから感じとることが出来る。

 ふたたび訪れた地球の探査船の連中が、ジュナを恐れて調べ尽くし、それでもなかなか納得できないでいる滑稽な様は、疑心暗鬼にかられっ放しの人類に与える警鐘なのかもしれないし、功名心にかられて先陣争いを繰り返す醜悪な様も、おなじく政治ずれした人類に対する忠告なのかもしれない。そんな様を見るにつけ、「リンク」という手段があるにしても、文字どおりに「心の底から」理解し合える「テンドゥ」たちを羨ましく思う。

 「絶対に書きたいSF」を書き上げたエイミーが、次に書く物語もきっと、「ヴァーチャル・ガール」や「緑の少女」と同様に、成長していくことの困難さと、成長していくことの素晴らしさを歌い上げる物語であることだろう。そしてそこには、生きているのは自分ひとりではないことを、人間だけではないことを、強く語りかけてくるメッセージがあるはずだ。ただ己のことばかりを考えて、ゴールの見えた線路の上をひた走る今の世界の人たちに、エイミーのメッセージが届くことを切に願う。


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