封印されたミッキーマウス
美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード

 デカ目の丸の上の左右に、小さめの丸がそれぞれ1つづつ飛び出ていたらそれは何? そう聞かれたら大多数が「ミッキーマウス」と答えるだろうことは想像に難くない。

 それほどまでに1つのアイコンとして確立し、定着してしまっているが故に、そうした形を何かに使えば、遠くアナハイムから海を越えてネズミとアヒルの例のコンビが、黒い服を着て黒いサングラスをかけ、「メン・イン・ブラック」よろしくやって来ては、手にしたポップコーン発射銃でポポポポン! と退治に乗り出すんじゃないかと思っている人もまたいそう。

 いくらなんでもそれは、と思わないでもないだろうけどあるいはもしも、と思わせるところが残るのは、もう20年も昔の1988年、滋賀県の大津市の青嵐小学校で児童がプールの底にミッキーマウスを描いたら、ディズニーの日本法人がクレームを付けて消させたって話が根っこあって、なるほどそこまでやるのか、やっぱりディズニーは厳しいなという雰囲気を、今に強く残しているからだろう。

 では実際に大きな丸に小さな丸の2つを使うと担当者が飛んでくるのかどうなのか。それは安藤健二の「封印されたミッキーマウス 美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード」(洋泉社、1300円)という本が、表紙に堂々とそんなアイコンを掲載したことで身をもって証明してくれそうだ。

 洋泉社にネズミとアヒルがやって来るのか。ゴージャスに着飾った王子様とお姫様に会社の前で踊るのか。それはそれでちょっと愉快かもしれない。顔をハチミツの瓶に突っ込んだクマが入り口でごろごろされたら。可愛いけれどもちょっと迷惑か。おそらくはきっと何も起こらないのではないだろうか。以前に松岡圭祐が「ミッキーマウスの憂鬱」(新潮社、1300円)という本を出して、「東京ディズニーリゾート」を舞台に働いている若者達の様子を描いた時も、とりたてて何があったという話しは聞こえて来ていない。

 ただ「封印されたミッキーマウス」は“封印作品”を“開放”していく活動で知られる安藤健二のルポルタージュをまとめたものだから、小説のようにあくまでフィクション、想像の暗物だとは言い切れない点があり、違う展開になるかもしれない。ならないかもしれない。それ故にどう広がっていくかが興味深い。

 大津でのミッキーマウスの一件を取り上げた文章では、どういった経緯でプールのミッキーマウスが“封印”されたのかを改めて、現地に尋ねて当時の事情を掘り起こしている。基本的にはディズニーの日本法人から申し入れがあってプールの絵は消していて、それについて当時の先生が、権利に対する意識がちょっと足りなかったといった反省の弁を述べている。

 後に語られ定着しかかった「可愛そうな子供vs強権をかざすディズニー」といったアングルで見るのは間違いだといった感じのニュアンス。問題はそうしたニュアンスが当時でもすでに存在していたはずなのに、「子供の夢vs大人の事情」といったトーンばかりがクローズアップされ、今なお根強く残っている点。現地で事情を聞いて回るのではなく、遠くからシチュエーションだけ切り取り、ストーリーを作って報じるメディアが多かったのでは? といった状況が浮かび上がる。

 曖昧さの中で分かりやすいストーリーが作られ、そればかりがクローズアップされ、一人歩きして“事実”と化してしまう積み重ね。それがタブーを作り出す。

 タイタニック号に乗船していて助かった唯一の日本人、細野正文氏に関する話なども、そうした受け売りと憶測の果てに既成事実化して一人歩きする情報の面倒さを浮かび上がらせている。婦女子が中心のボートに飛び乗り助かったことを、とある英国人のローレンス・ピーズリーが著書に卑怯な日本人がいたと書いて非難されたけれど、細野正文氏の息子や、孫でミュージシャンの細野晴臣氏らの活動もあって、事実ではなかったことが分かり名誉が回復された。

 なるほど実際に細野晴臣の祖父は、長く非難され役人も辞めざるを得なくなった。損なわれた名誉を回復したいと子孫が動いていたことも事実。だからピーズリーの非難も事実としてあったのだと当然のように考えられている。ところが。調べるとピーズリーの著書に細野正文氏を非難した言葉はない。別のウォルター・ロードという人が書いた文章に、細野正文氏が非難されていたという記事が1970年の雑誌に掲載されていたことはあったが、これも事実ではなかった。

 ウォルターの文章は、むしろ日本人が婦女子を押しのけてボートに飛び乗ったという偏見があることを指摘し、謂われのないことだと擁護にすら回っていたりするからややこしい。どういうことなのか? 調べていった果てに見えてきたのは、同じ日本人の中におめおめと生き長らえた細野正文氏に対する違和感が浮かび、それが外国人の非難という“外圧”的な情報を抱いて膨らんでいったらしいことだった。

 なおかつ、細野正文氏の名誉回復の美談が仕立て上げられた背後には、映画「タイタニック」の公開に絡んだプロモーションの影が見えてきた。謂われのない非難を晴らした日本人という、どこか優越感をくすぐるような美談はつまり、遠い世界の話に過ぎないタイタニックへの日本人の関心を呼ぶためのものだった? だとしたら情報戦とは実に複雑で、そして恐ろしいものだといえる。

 過去の著作にも取り上げられてた「ウルトラセブン」の12話や、「オバケのQ太郎」といった封印された作品についての簡単な紹介もあって、安藤健二の仕事ぶりを振り返られる「封印されたミッキーマウス」。加えて“あの人はいま?”的な人物を追ったものもあって楽しめる。例えばSF童話の「天才えりちゃん金魚をたべた」幼くして刊行し、世間を驚かせた竹下龍之介についての話は、SF方面に関心を持つ者の興味をそそりそう。

 家族によって情報がシャットアウトされて現況はつかめなかった、といった結論だけれど、記事自体が04年当時のもので、年齢的には大学生かもう卒業して就職していて不思議はない竹下龍之介が、現在どこで何をやっているのかに興味が及ぶ。依然として親が接触をシャットアウトしているのだろうか。ほかに日本でフランス語を公用語にしようとする運動が起こった歴史にも触れられていたりと、得意な「封印作品」に関するルポとはまた違った切り口から文章を楽しめ、丁寧に情報を掘り起こして真相へと迫る手法の鋭さを堪能させられる。

 この鋭さが、あの人気男性アイドルたちを多く抱える事務所へと向かうこともあるのかどうかが目下の興味。それより以前にやはりこのタイトルでこの表紙に対して、何かアメリカからリアクションがあるのかといったことにも関心が及ぶ。ノックされた扉を開けて黒服のネズミとアヒルが立っていたその時は、是非に続きのルポルタージュをお願いしたいものだが、さてはて。


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