冥王ダンス

 「恋にまさる奇蹟なし」。

 とは、別に偉人や哲人が残した言葉でもない。ただ、クールでスタイリッシュな「ブギーポップ」シリーズの上遠野浩平には珍しい、ロマンチックでファンタジックな内容を持った「冥王と獣のダンス」(メディアワークス、570円)を読む限り、たとえ天地を揺るがす念道力であっても、あるいは未来を見通す予知能力でも、はたまた大地を蹂躙する戦車の火力でも、恋の前にはそよ風ほどの力も持たないんじゃないかと、そう思えて仕方がない。

 未来の地球。宇宙へ出ようとしていた人類は、突如襲いかかって来た「虎空牙」なる存在によって宇宙への道を阻まれ、資源の枯渇した地球へと縛り付けらてしまった。文明が衰退していく中で、人類は独裁者の下で超科学文明の残したテクノロジーにしがみつく「枢機軍」と、戦略兵器なみの超能力を操るごく少数の人間に率いられた「奇蹟軍」とに別れて争っていた。

 長い戦争状態が続いていたある時代。枢機軍にいた一介の兵士、トモル・アドは出向いた戦場で先行する見方を敵の「奇蹟使い」によってせん滅させられる場面へと行き会わせる。奇跡的な確率で生き残ることの出来たトモル・アドは、戦場で夢幻という名の美しい、けれども恐ろしい力を持った敵方の「奇蹟使い」と出会い、瞬間的に恋におちる。そのまま敵と味方に別れた後も、トモル・アドは夢幻に再びまみえる日を願って、わざわざ激しい戦場へとその身を向かわせる。

 夢幻もまた、せん滅したはずの敵軍から現れたトモル・アドに強い関心を抱く。常に頭からその姿が離れず、気になって仕方がなくなる状態を、彼女はトモル・アドによってかけられた何かしらの「奇蹟」と考え、術を解くためには再びトモル・アドに出逢う必要があるからと、率先して戦場へと出る。

 トモル・アドが夢幻と邂逅した戦闘の最中、なぜか奇蹟軍を離脱して枢機軍へと寝返り、トモル・アドの下で奇蹟軍と戦う道を選んだ2人の「奇蹟使い」がいた。1人は天を操るリスキィ兄、もう1人は地を統べるリスキィ妹。奇蹟軍でも最強と言われる「奇蹟使い」のリスキィ兄妹だった。

 ただでさえ地球へと押し込められ疲弊していくだけの人類が、2つの勢力に別れて争い続け、滅亡への道をひた走っている不様さが目に痛い。人間はどうあっても争いたがる生き物なのかと絶望感を抱かせる。けれども座して死を待つばかりだと思われた人類の中から、新しい道を開くべく一歩を踏み出そうとした人々がいたことに、いささかの希望の気持ちを抱く。

 そんな行動をリスキィ兄妹に踏み切らせたのが、夢幻との出会いで発動したトモル・アドの「力」だったとしたら。戦車を根こそぎ粉砕する海栗とも栗ともつかない妖魔を繰り出す夢幻の「奇蹟」も、人々に恐怖の心を植えつけるウイルスを生み出すリザースの「奇蹟」もトモル・アドの「力」が打ち破ったのだとしたら。まさしトモル・アドが夢幻に抱いた「恋」の力が、世界を滅亡から救ったことになる。「恋」の力おそるべし、である。

 閉塞した地球で戦いを繰り広げる人類という作品の世界観を作り出すために想定した、人類が宇宙に出ようとして撃退された状況が、巻末のクライマックスでトモル・アドらが出逢うアクシデントへとつながる流れはまずまずだろう。人間を宇宙から撃退したほどの敵を倒すために作られた装置のあっけなさは不思議で、出現の仕方もどこか唐突だったりするが、それすらも人類に未来をもたらす可能性を秘めた、トモル・アドの「恋」の力のなせる技だと考えれば腑に落ちる。

 何の脈絡もなく冒頭から登場する「虎空牙」なる存在の正体は何なのか。トモル・アドと夢幻の「恋」によって本当に世界が救われたのか。疑問は幾らも浮かぶが、とりあえず完結している本編では、その辺りは憶測によって推し量るより他にない。かなうなら、未来に人類が再び宇宙へと羽ばたいている、明るい世界がが訪れていることを願いたい。あるいはそんな世界を舞台にした物語が、上遠野浩平によって描き継がれることを心の奥から望みたい。


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