殺戮のマトリクスエッジ

 落下してきた柱からあふれた災厄によって人が消えた世界で、生き残った男が少女と旅をするストーリーを描いて、退廃の中に咲く愛を見せた「灰燼のカルシェール」(ニトロプラス)の桜井光が、ゲームや小説で繰り広げてきた「スチームパンクシリーズ」を少し離れて書いたライトノベルが「殺戮のマトリクスエッジ」(ガガガ文庫、600円)。スチームならぬサイバー化された世界を舞台に、少年や少女が電子の火花を散らして戦うパンクなビジョンが繰り出される。

 舞台になっているのは電子化され、電脳化された東京湾上の人工都市。池袋や新宿、渋谷といった実在する東京の繁華街の名前を借りて区分けされたその都市には、電脳化による利便性を享受できることを目的に、長く都市から出られないことも承知で、大勢の人たちが移り住んで来ていた。

 選択に迷うような事態にも、選択肢が現れて適切な方法を選べるようになっていたりと、思考を電脳が肩代わりしてくれて間違えずに住む。そんな最先端のテクノロジーによって、安楽の暮らしが約束されていたはずなのに、住民たちが備える電脳をハックするかのように本人が気がつかないまま、危険に満ちた暗闇へと誘い、そこに現れて電脳ごと食らいつくす怪物「ホラー」の出現が、だんだんと噂に上るようになっていた。

 もちろん、あくまでも噂に過ぎず、同様にそうした「ホラー」を倒す「ランナー」という一種のハンターの存在も噂されていながら、誰もそうした存在を見たことがなかった。だから噂だと信じ込んでいた。けれども違った。何者かによって徹底的に管理されていただけだった。

 「ホラー」は実在していて、街の人気のない場所に現れては、そこに誘い込まれた人々を喰らっていた。そして今日も「ホラー」によって少年少女がまとめて食われようとしていた、その時。敵の余りの強さに集団で行動することが求められているはずの「ランナー」にあって、単独で「ホラー」を駆る少年、小城ソーマが現れ生き残りの少女を逃がし、そして圧倒的な力で「ホラー」を倒した。

 その左腕に仕込まれた装置を見るにつけ、ただ者ではなさそうな小城ソーマ。もっともソーマには、2年前より遡っての記憶がなかった。目覚めて「ランナー」として戦うこと、その右腕に仕込まれたなぞの機構、それだけを持っていることを知ったソーマは、自分の本当の姿に迫るためにただ「ホラー」と闘い続けていた。

 だからその日も、襲われていた人間を救い、逃がしてそして「ホラー」を撃退した。いつものように帰ろうとしたものの、その現場にククリという名の1人の少女が突然現れ、そのままソーマに懐いてしまった。いや、それより状況は凄まじかった。凄腕のハッカーでもある小城ソーマの電脳のアカウントと融合してしまって、もはやククリを身辺から50メートル以上離せなくなってしまった。

 そして始まる奇妙な同居生活。学校にも連れて行かざるを得なくなり、それで同級生たちの好奇を誘い、ひとりの少女は家まで押し掛けククリとソーマの世話を焼く。結果的に妹として存在するようになってしまったククリはけれども、当たり前の人間ではなかった。いった何者なのか。そしてソーマ自身は? 謎を探るために潜入した場所で小城ソーマは知る。ククリの正体を。そして自たちの境遇を。

 電脳によって拡張された感覚は、時に利便性を持ちながら、一方で激しい混乱をもたらすこともある。士郎正宗の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を元にしたオリジナル作品「攻殻機動隊ARISE」のシリーズでも、知らず電脳がハッキングされ、そうだと信じている記憶、そうだと見ている風景が“真実”とまるで違っていながら、当人がそのことにまるで気づかないシーンが登場する。

 誰もが携帯情報端末を持って、そこから情報を手軽に取れるようになっている現在が、端末すら不要になって肉体に直接情報を取り込めるようになった将来に、何をもたらすかを示唆してみせる。加えて、「攻殻機動隊」の“人形使い”に代表される、進化する人工の知性が何を現出させ、どんな事態を呼び込むのかということも。

 人工の海上都市を舞台に繰り広げられている「ホラー」と「ランナー」の戦いが持っている意味と、そこに現れたククリであり、小城ソーマといった存在が将来において果たす役割が、これからの展開で明らかになっていくかに興味を惹かれるストーリー。続刊はきっとあるだろうから読んでいこう。そして確かめよう、ソーマとククリの未来を、その生の真相を。


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