マリアの月

 ダスティン・ホフマンが、アカデミー主演男優賞を受賞した映画「レインマン」で見せた“力”が有名だ。ホフマンが演じる自閉症の兄が示す、ちらりと見ただけであらゆることを記憶してしまう驚きの力。それは、決して映画的な空想の産物ではない。

 カメラのように何でも即座に記録してしまう目や、コンピュータすら上回る計算能力を発揮する人たちが、この世界には現実に生きて暮らしている。その人たちの力は、「サヴァン症候群」と名付けられ、未だ解明されていない脳の神秘に近づく鍵として、研究されている。

 絵画や彫刻に並はずれた力を示す人もいて、動物の写真を一目見ただけで、生きているような彫刻を作り出す。「レインマン」に協力したダロルド・A・トレッファートが書いた「なぜかれらは天才的能力を示すのか サヴァン症候群の驚異」(草思社)という本の表紙になっている、躍動する馬の彫刻も、そんな力によって作り出された作品のひとつ。見れば、瞬間の記憶を永遠に保って、形に表す力がどれだけ凄いかが分かるだろう。

 だから、三上洸の「マリアの月」(光文社、2100円)に登場する女性、真理亜のように、見たままを絵に描きあげる能力が実在していても、何ら不思議はない。ただし。すべてを記憶してしまうことがもたらす怖さというものがあるのだと、「マリアの月」に描かれる波瀾万丈の物語がささやき諭す。

 真夜中の森林で、医師と看護婦が手にスコップを持ち、拘束された女性を殴り殺した場面を目撃してしまった8歳の真理亜は、追われて崖から転落して頭に重傷をおう。心の発達が子供のままで止まってしまった真理亜は、22歳になった今も、障害者が集められた施設で暮らしていた。

 妖精のようにふわふわと、毎日を送っていた真理亜に転機が訪れる。入所者の社会復帰に役立つよう、絵を教えて欲しいと頼まれやって来た画家の敦史の指導によって開花した真理亜の絵の才能が、彼女を時ならぬ注目の人にしてしまう。そして同時に危険な身へと追い込んでしまう。存命であることが知られてしまったのだ。

 才能が恐怖を呼ぶのだったら、才能なんてない方が良いのか。将来を嘱望されながら、犯してしまった過ちを悔いて絵筆を置いた敦史自身にも通じる、才能とはいったい誰のもので、何のためにあるのかという疑問に、ひとつの答えが示される。

 秘密を知る真理亜を狙ってめぐらされる陰謀の、政治中枢まで巻き込んだスケール感の大きさに驚かされる。日本の公安警察が、果たしてそれほどまでの組織の存在を見逃して、政治の中枢へと近づけさせるのかという疑問も浮かぶが、現実にサリン事件を起こすまでオウム真理教の動きを察知できなかったのが日本の実体。先入観から見落としてしまったという可能性もある。

 逆に、圧力が強大すぎて見逃さざるを得なかったのだとも考えられる。この場合は、日本という国の未来に不安も浮かぶが、真理亜の無垢な才能がその不安を振り払ってくれたという訳で、まさしく女神の再来のような彼女への賛意も浮かぶ。

 無垢ゆえに真理亜は性的にも無関心かというと、決してそうではない可能性も示唆されるが、敦史がそこには踏み込もうとしないのは、同じ絵画の才能を持つ者として抱いた敬意が、彼女の栄達を妨げまいと身を引かせたのか。ほんのささない罪をひきずり絵筆を置いてしまった、敦史彼らしい小心さと言えば言えるが、実際に真理亜の絵をみれば、そうも言っていられないのかもしれない。

 だからこそ映像として、描かれる作品も含めてその天性とも、狂気ともとれる感情の本流が、表現される場面をみたいもの。演じられる役者などおらず、描かれる絵画などあり得ないかもしれないが、だからこそ挑む価値もあろうもの。我と思う監督と役者は挑み、そして見せたまえ、ダスティン・ホフマンの「レインマン」を超える、驚異の世界が世界に与える感動を。


積ん読パラダイスへ戻る