黄金の魔獣


 平井和正の「ウルフガイ」とか手塚治虫の「バンパイア」なんぞを読んで育ったニッポン人にゃあ、どうも外国の「人狼」ってのは粗雑に映っていけねえ。満月のたんびに変身しては、ところ構わず人をブチ殺して回る。自制心のかけらもありゃしない。

 人間の心の奥底に潜む獣性が、満月をきっかけに表に噴出してくるんだから、我を忘れて殺しまくるのも仕方がねえってことなんだろうけど、そもそもケモノってのは、そんなに他の生き物を殺しまくるのかい? よっぽど腹を空かせてるか、よっぽど腹に据えかねることでもなきゃあ、縁もゆかりもない生き物を、そうそう無体に殺しゃしねえよな。

 タニス・リーの「黄金の魔獣」(木村由利子訳、ハヤカワ文庫FT、740円)に登場するのも、まあ一種の「人狼」だわな。有名になるとか大金持ちになるとかいった大志はどこへやら。中東のとある街で、美少女のヒモになったり、街の実力者の秘書を務めたりと、その日暮らしの怠惰な生活を送っている美青年のダニエル・ヴェームンドだけど、「狼」と名付けられた巨大なダイヤモンドを目にしてから人生が一変する。魔に魅入られたように、満月の夜ともなると「人狼」に変身して、無差別殺戮を繰り返す。

 街にいられなくなって船で出帆したものの、船の乗員は皆殺し、漂着した先で世話になった金持ちもぶち殺しては有り金を奪う。鉄砲で撃たれても平気なら、ナイフで切られようと矢で射られようといっこうに怯むところはなく、不死身の「人狼」は憑かれたように殺戮を続け、生まれ育った村を目指す。

 ところ代わってヨーロッパはダニエルの生家がある村。不肖の長男にいじめられ続けるダニエルの母ちゃんのところに、本を読み通ってる乳搾りの美少女ローラがいた。家に帰れば骨董漁りが趣味の親父と嫌みな母親と不細工な妹たちに囲まれて、まさに「はきだめの鶴」(114ページ)。そんなローラを見初めた貴族のあんちゃん、その名もハイペリオン・ワースが、邪見な扱いもものともせずに、ひたすらローラに求婚し続ける様は、「人狼」の足音が村にひたひたと忍び寄るまでの、ちょっとした息抜きになってる。

 やがて生家のある村に戻ったダニエルが、ハイペリオンの妻になったローラのもとに登場。巡りめぐってローラの胸元に収まったダイヤモンド「狼」のお導きか、ダニエルとローラは運命の出会いをし、ハイペリオンを交えての壮絶な3角関係が始まった。ふられる為だけにローラと結婚した感のあるハイペリオンのあまりの情けなさには、ついついウフフと忍び笑いを浮かべてしまうけど、最後の最期に見せる貴族としての振る舞いには、ほんのちょっぴりほだされる。

 「ウルフガイ」の犬神明にしても「バンパイア」のトッペイにしても、何だか憂いを背負って生きてるじゃない。そんでもって「人狼」になっても、やっぱり憂いを背負ってるような感じがして、とってもカッコいいじゃない。でもダニエルが変身する「人狼」って、圧倒的な強さが醸し出す尊厳もなければ、人の世に生まれた徒花としての憂いもない。本能の赴くままに殺戮を繰り返す姿って、あんまり美しくない。

 何せ、スレンダーな体と頑丈な四肢、醸し出す雰囲気は高貴にして荘厳な「人狼」というイメージとはかけ離れて、「狼ではなく豚か熊に似たそいつ」なんだもん。「背中、腰、関節のある脚。派手に逆毛がはねまわる頭には、皺ののびた鼻と鋭い刃の牙、黒い舌がある。目には知性はない。機会仕掛けの目のようだ」(407ページ)。いまは亡きロバート・ストールマンが「野獣の書3部作」(ハヤカワ文庫SF、たぶん絶版)で生み出した謎の生き物「野獣(ビースト)」だって、体躯は豚か熊みたいだったけど、目には知性めいたものがあったし、人だって殺戮しなかったよ。

 でもまあ、「人狼」がとことん醜く、ハイペリオンがとことん情けないことで、本当はこっちが主人公かもしれないローラの気高さというか芯の強さが引き立つってもの。そこまで意識してキャラクターを設定したのだとしたら、こいつはタニス・リー、なかなかの策士ではないかと思い至った次第。「人狼」のカッコ良さに入れ込んでる平井和正ファン、手塚治虫ファンで、ページをめくるたびに「人狼=ダニエル」の醜態に湯気立ち上らせている読者でも、ローラというキャラクターにだけは、きっとゾッコンになると思うよ。


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