六人の兇王子
ヴァイサルの血

 しばらく前の「本の雑誌」で、小説に登場する悪役を対決させるという企画があって、我がSFの分野からは、ジャック・ヴァンスの「魔王子シリーズ」に登場するレンズ・ラルクがノミネートされていた。けれども認知度の低さが災いしてか、レンズ・ラルクの稀代の犯罪(笑)はなかなか理解されず、推薦者の獅子奮迅の活躍にも関わらず、あっけなく1回戦で敗退してしまった。

 この「魔王子シリーズ」、確か5人の「魔王子」と呼ばれる犯罪者たちによって肉親を殺害された男が、次々と「魔王子」たちに復讐していく内容だった。金も力もない男が、ただ怨みのエネルギーだけに支えられて、それぞれに特徴のある「魔王子」たちと対決し、討ち果たしていくストーリーの爽快さに惹かれて、熱心に読んだ記憶がある。もっとも今では、書店の書棚から姿が消えてしまっていて、それぞれの「魔王子」たちがどんな性格でどんな残虐なことを好み、どんな方法で復讐されていったのかを知る術がない。

 かわりといっては何だが、今の新しい読者たちに新しい時代の「魔王子シリーズ」としてお薦めできそうなのが、荻野目悠樹の「六人の兇王子 ヴァイサルの血」(集英社コバルト文庫、550円)だ。タイトルからして「魔王子」から何らかの影響を受けたもののような印象を受けるが、真偽のほどは定かでない。ただ1つ言えることは、人智を超えた「力(ラ・フォルツァ)」を持った「兇王子」たちの残虐非道な振る舞いが、「魔王子シリーズ」にも匹敵する「悪の魅力」を、読者に感じさせるということだ。

 幼い日、両親を殺されて「家(ラ・ファミリア)」と呼ばれる秘密結社の本拠地へと連れ去れたギヴァ。そこには5人の兄弟が暮らしており、ギヴァもその中に加わって、「家」が求める「兇王子」になるべく育てられた。「兇王子」、それは人間としての感情も同情もすべて消し去って、「家」が求めるままに世界滅亡を導くことを定められた、悪魔にも似た存在だった。

 幼い頃から人を危め、奪い、殺すことを繰り返すことによって、人間らしい「心」を失っていった兄弟たちの間にあって、父母を「家」に殺された経験を持つギヴァだけが、その身の奥底に「心」を保ち、育むことに成功していた。だが「家」の猜疑心は根深く、来るべき世界滅亡への序曲が鳴り響いたその日、他の「兇王子」たちが1人で国々を滅ぼす旅路へと出た時に、兄のヴァイサルといっしょに任地へ赴くことを強要されてしまった。

 彼らが狙ったのはスケルツォ公国。おりしもスケルツォ公国公子チーボアレの妹のイエルマが、政略結婚によって隣国のベニビアに嫁いで間もない時で、女性を政治の具として用いることを厭わない兄チーボアレの軍事力が、妹の嫁ぎ先の国に向けられた直後、イエルマはベニビアの城を抜け出して森をさまよっていた。

 そこで2人の「兇王子」、ヴァイサルとギヴァに出会ったイエルマは、彼らがチーボアレに接近するための道具として使われ、イエルマ自身もその運命を甘んじて受け入れてしまった。だがギヴァは、かつて自分が手にかけた少女と似た目を持つイエルマと出会ったことで、隠していた人の「心」が蘇り、イエルマを連れて「兇王子」から抜け出そうと懸命に森を走った。やがて追いついたヴァイサルと一騎打に破れたギヴァは、イエルマをヴァイサルに奪われ、ヴァイサルの「兇王子」としての能力によって、死線をさまようこととなった。

 冷酷無比で悪逆非道が身上の「兇王子」たちにあって、何年も心の奥底を隠すことに成功したキヴァの意志の強さが際だつが、ヴァイサルと一騎打ちした際に見せた用意周到さが、他の「兇王子」にも増して冷酷だと、「影」と呼ばれる仕官者たちから評価されるに至って、ギヴァは平気を人で殺す自分が本当なのか、それとも「心」を持って人を愛し慈しむことが出来る自分が本当なのか解らなくなる。

 裏切りにも会い、生きていくことの目的を見失い欠けたギヴァだったが、それども「人間」として生きることを決め、再びヴァイサルとの戦いに臨む。悲しみのうちにフィナーレを迎えたギヴァに、裏切り者を粛正するべく「家」の魔手が延びる。あと4人、それぞれに人智を超える能力を持った「兇王子」たちが、これからギヴァに襲いかかることになる。「兇王子」たちと闘わせることによって、ギヴァを「家」にとっての真の姿、つまりは悪逆非道の「兇王子のなかの兇王子」に仕立て挙げようとする「意志」が働いていないとも限らない。

 「悪の誘惑」に耐えながら、ギヴァは「心」を持った「人間」であり続けることができるのか。誘惑の多い世界、諍いの耐えない世界、真面目に真剣に生きていく者が尊ばれない世界に暮らす今の人々に、ギヴァの生き様は果たして希望をもたらすのだろうか、それとも絶望をもたらすのだろうか。答えを知るためにも、強く続刊を待ち望む。


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