國崎出雲の事情1

 歌舞伎の家に生まれた少年は、親に強制されて演じる女形の役に嫌気が差し、家を飛び出して戦闘機乗りになるんだと高校にあったパイロット科へと進み、やがて始まった戦いの中で攻めてくる敵と戦い、追い込まれたその時に父が教えてくれた芸の極意が身より発して、導かれ危機を脱して達観し、エースへの道をひた走る。

 という話ではまったくないのが、ひらかわあやの「國崎出雲の事情 1」(小学館、440円)という漫画。なるほどパイロットと同じ梨園の跡取り息子ながら、國崎出雲が家を出たのは母親の都合。女形が似合う息子に妙な愛情を示す父親に、愛想を尽かした母親に連れられ2人で暮らし始めて8年ほど。すっかり歌舞伎から離れたまま、高校生になってこれからも自分の生きたいように生きると思っていた矢先、出雲に大きな人生の転機が訪れる。

 どういう理由からか母親が、1年ほどの旅行に出ると言って息子を置き去りにして消えてしまう。代わって父親に面倒を見てもらうことになった出雲は、会いたくなかった父親を訪ねて歌舞伎の興業が行われている劇場へと入ろうとして、入り口で逡巡していたところに、彼を少女と見間違えたか若い男たちが絡んできた。

 これは面倒と思っていた時に現れたのが、着物姿のいなせな美人。「色恋沙汰なら他所でやんな!」と啖呵を切って出雲を助け、颯爽とどこかへ消えていった。その場所で着物姿の人間が向かう所など1カ所しかないが、それには気づか美人の格好良さに惚れ込んでから出雲は、劇場へと入って父親と再会。決して歌舞伎などやらないと言って父親を泣かせていたところに、さきほど助けてくれた美人が実は父親の弟子の歌舞伎役者、皇加賀斗だったと知らされ、抱いた恋心をうち砕かれて愕然とする。

 そんな傷心の出雲に追い打ちをかけるように事件が起こる。体の弱い皇加賀斗が連日の公演が負担になって倒れ、舞台に穴を空けそうになってしまう。代役として引っ張り出されそうになった出雲は、頑として抵抗するものの、集まってきた観客の舞台を楽しみにした姿に逃げ出せず、その時限りと8年ぶりに女形となって舞台に立ったが百年目。一座の解散もあり得るくらいに逼迫した國崎屋の看板を守るため、そして自身にうごめく役者の魂にせき立てられて、嫌だ嫌だと口にしながら出雲は女形となり、歌舞伎の舞台に立ち続ける。

 女装する男子の物語が妙にもてはやされる昨今にあって、当たり前のように男子が女装をしている歌舞伎の世界を描いた内容は、オーソドックスな設定と言えば言えて、それほどの官能はもたらさない。半ば当たり前のことだだと気持ちが納得させられるし、当の出雲もそうした恰好をすることに、性的な境界線を乗り越えているような心情は示さず、いわばひとつの芸として挑んでいる部分を見せていて、読む人に背中をくすぐられるような感情をあまり覚えさせない。

 その意味では、流行に絡めて語られるべきでは今はないかもしれないけれど、女性のいない世界で女性の代わりを務めるというより、女性そのものになってしまわなければ務まらないのが女形という存在だ。加賀斗のように日常から女性の恰好で出歩くところまではいかないまでも、舞台の上で女性になる日々を繰り返していくだろう出雲の心情に、何かが生まれそれがどういった方向へと働いていくかによっては、浮かぶ感情にそそられることもあるかもしれない。

 あとは出雲が家を出たあとで、期待の役者として女形を演じて評価もされて来た加賀斗がこれから先、どういった感情を出雲なり師匠に対して抱いていくのかにも、興味が向かいそう。今のところはあまり内心を外には出さず、出雲の復帰を喜びながら自分の勤めを果たしている加賀斗。けれども、競ってこそ華の女の世界、ではなく女形の世界。梨園に生まれた血筋の良さと、根っからの才能で世に名を知られていく出雲の姿に、外から入ってたたき上げで座を得た加賀斗が、そのままの感情でいられるのか、それとも渦巻く情念が何か事件を起こすのか。興味が浮かぶ部分だ。

 若くして評判を得た歌舞伎役者たちのひとりとして真っ先に登場し、出雲とのバトルを経て親交を結び始めた栂敷紗英のほかの御曹司たちが、出雲とどういった関わり方をしてくるのかにも注目。あるいは全員が全員、紗英のように女形であっても出雲の麗しさに惚れ込んで、アプローチをかけてきたりするのか。そしてそれを見て加賀斗が情念の炎を燃やすのか。見守っていきたい、その愛の成就する時を願いつつ。

 それにしても「週刊少年サンデー」には、時としてこういった性差を超える物語が載るから面白い。幼馴染みの少女のために2人で芸能界で活躍できるよう、女装してペアを組んでアイドル活動に勤しむ少年が主人公になった遠山光「ティンクル×2 アイドル☆スター」が掲載されていたことがあったし、高橋留美子の言わずと知れた代表作の「うる星やつら」にも、男装させられた浜茶屋の竜之介のフィアンセとして、逆に女装させられた潮渡渚という少年が登場した。

 同じ高橋留美子の「らんま1/2」に至っては、男子が女子にくるくる変わってしまうトランスセクシャルストーリーだった。今に限らず性差を越える物語を掲載して来た伝統ある少年漫画誌と「週刊少年サンデー」。そうした作品の列に「岡崎出雲の事情」も加わっては、女装への興味を少年たちの心に植え付け、長じてそういった方面の物語を生みださせるなり、良い理解者となって伝統の連続に寄与させていくことになるのだろう。


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