鯨の王

 クジラほど人間に愛されている動物はいない。巨体を揺らして大海を泳ぎ渡る姿と知性を感じさせるらしい眼差しが、クジラを敬愛すべき存在だと思わせている。けれどもほんの数10年前まで、クジラは猛獣にも等しい存在と畏れられていた。

 クジラが学校の給食にも使われるくらいに一般的なタンパク源だった時代。人間はクジラを相手に世界の海で命がけで戦っていた。小さくたって10数メートルはある鯨を捕まえようとしたら、相当な装備と覚悟が必要だ。銛を打ち込んでも暴れられれば船はひっくり返される。

 和歌山県の太地町では明治11年、激闘の果てに巨大なクジラを仕留めた船団が暴風雨に巻き込まれ、クジラごと流されそうになって泣く泣く切り離したものの間に合わず、100人以上が波間にのまれて命を落とした。クジラが可愛いだの賢いだのと思われるようになったのは、クジラを捕ってまで食べる必要がなくなったから。戦う相手でなくなったクジラを憎む理由なんてどこにもない。

 もっとも、可愛がるにしろ畏れるにしろ、人間にとって有用か否かという判断の差によるものでしかない。もしも今、誰も見たことのない巨大なクジラが現れて、人間を襲い船を襲い、世界を脅かすようになったとしたら、人間はクジラを愛し続けられるのだろうか? 憎むのだろうか?

 そんな疑問にひとつの答えを示してくれるのが、火星を舞台に勢力争いをする人類に、謎の生命体が絡むSF大作「クリスタルサイレンス」で99年にデビューした、藤崎慎悟の最新長編「鯨の王」(文藝春秋社、1800円)だ。

 小笠原海域の水深4000メートル付近から新種のクジラの骨が見つかった。頭骨から推定した体長は40メートル。マッコウクジラの倍で、世界最大の動物と言われるシロナガスクジラよりも大きな「ダイマッコウ」の存在に、発見した鯨類学者の須藤秀弘は歓喜する。だが、海底から回収した骨は研究室から何者かによって盗まれてしまい、資金不足から調査も滞る。

 そこに目を付けたのが世界的なバイオ企業。クジラにのめり込んで家庭をないがしろにした結果、妻と離婚し娘にも嫌われていた須藤は、裏のありそうなバイオ企業の誘いを受け、深海艇に乗り込みダイマッコウの調査に臨む。

 パートナーになったのはホノカという23歳の女性パイロット。可愛がっていたイルカが死んで、そのイルカの脳組織の一部が深海艇の人工知能として使われることになると聞いて、志望してパイロットになった。だから、新種のクジラを金と名誉の対象としか見ず、家族に見捨てられた寂しさをアルコールで紛らわせている須藤との関係は険悪で、須藤がああいえばホノカもこう返すといった具合に、深海艇の中でも口論を繰り返していた。

 同じ頃、太平洋マリアナ海域を潜行していた米国の原子力潜水艦で奇妙な事件が起こる。密閉された原潜の内部にいた乗組員の頭が次々に破裂し、吹き飛んだ。毒ガスやウイルスによる攻撃が疑われたものの、調査の結果はシロ。原因を探っていった先に須藤が見つけたのと同じ巨大なクジラの群がいた。

 近親者をクジラに殺され復讐心に燃える米軍人の攻撃にもダイマッコウはひるまず、逆に猛り怒って逆襲に出る。ダイマッコウが作る物質を不老長寿の薬だとあがめる宗教的なテロ組織の介入もあって、須藤とホノカも米軍の攻撃で凶暴化したダイマッコウの暴走に巻き込まれてしまう。

 最新鋭の装備を誇る米軍すら苦戦するダイマッコウを前にして、冴えない中年男の須藤が持てる鯨類の知識を総動員し、ホノカもダイマッコウと人間をどちらも助けたいと情熱を燃やして立ち向かう。その姿は、人類を守るために戦うヒーローたちに負けないくらいの格好良さだ。

 けれども、勧善懲悪のヒーローたちとは違って、2人はダイマッコウを人類の脅威だからと排除するより、仲直りをする道を選ぶ。自然には勝てないし、勝つ必要もないのだから。

 米国人作家のメルヴィルが、クジラを恨むエイハブ船長と白いマッコウクジラとの戦いを描いた『白鯨』を書いた150年前は、人間の叡智と勇気が、自然のあらゆる脅威を支配し、ひれ伏させることが善だったが、「鯨の王」ではいくら文明を発達させた人類でも、支配できない存在がこの地球、この広い海にはいるのかもしれないという可能性が示される。

 可愛いし賢いからクジラを保護すべきだといういう理由も、肉や油が欲しいからクジラを捕るべきだという理由も、人間がクジラより上にいると考えていてこそ通用する。クジラが人間を襲うから対峙すべきという理由も、同様に人間至上のものでしかない。

 だから、人間をはるかに超越した“鯨の王”を相手にして、愛だの憎しみだのといった感情は意味も持たない。大自然を相手に人間が出来ることは、学び、理解して脅威を自らまねく愚を犯さないことなのだ。

 もっとも、自然を壊し、戦いを止めない人間には、脅威が本当に現れるまで理解できないことなのかもしれない。理解した時は取り返しがつかなくなっているのにも関わらず……。

 事件が一段落した後で、須藤の勤める大学に編入してきたホノカが、須藤とふたたび海へと潜るのかが読み終えて真っ先に浮かぶ興味。口うるさいホノカに、だらしがない須藤のコンビが見せるだろうにぎやかな冒険に、夢を見失いかけている人は尻を叩かれているんだと感じ、怠惰な上の世代に苛立っている人は、自分たちでも道を切り開けるんだと感じるはずだ。

 作者にはだからそんな物語を、尽きない想像力によって生み出される新たな脅威とともに、見せて欲しい。


積ん読パラダイスへ戻る