クィア・パラダイス

 “いま、「性」はSFよりもおもしろい”とは、いってくれるじゃない、ってのが本を見た最初の感想。買って読んでみた感想は、“「性」はSFとは関係なくおもしろい”ってこと。同じ位おもしろい、でもない。SFの代わりにミステリーやアニメやサッカーを持って来ても、やっぱり同じ感想を持つ。比べるのが無理だって。

 伏見憲明さんの「クィア・パラダイス」(翔永社、1500円)は、ほんと純粋に「おもしろ」かった。最初は怖いもの見たさ、あるいは異世界への憧れといった、興味本位で読み始めたのだけれど、伏見さんと、トランスセクシャル、半陰陽、女装者、トランスジェンダー、HIVポジティブらとの底抜けに明るい対談を読み進むうちに、自分の依って立つ基盤が、大きく揺らいでいるかのような感覚に襲われて、目の前がユラユラでグルグルとして来た。

 異なる存在をなかなか認めようとしない、今の社会に対して、伏見さんは「多様性というものがどれだけ人間の存在を豊かなものにしているかという現実を、肌で感じとっていただければ幸いです」と訴える。「性」というものを中心に語った本書が、常識とか通念とか慣習とかに縛られて、身動きがとれなくなっている今の社会全体に、警告を発してるような気がしてならなかった。

 もっとも伏見さん自身が注意しているように、これを読んだからといって、「性」にまつわる偏見が払拭され、解った気になったと思わない方がいい。理解とは多分に、常識とか慣習とかに縛られた社会で培われた、言語体系の中に組み入れてしまうことで、それでは「言語をはるかに越える現実」は、永遠に理解出来ない。

 「他人を理解するということは、抽象的な能力を要するものなのだ」と伏見さんは言う。言語によって全てを定義付けていく社会において、抽象力を養うことは容易ではないが、精神感応、以心伝心が自在になった社会の到来が、言語を越えたコミュニケーションを可能にするのだと考えると、SFと同種の面白さを、そこから得ることができる。

 SFやコミックや新耽美小説やミステリーに頻繁に登場する「両性具有」「半陰陽」が、医学的にはいろいろな例に分類されることが、掲載されているチャートによって、具体的に説明されていて、とても為になった。

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