傀儡のマトリョーシカ

 表紙の美少女が主人公で大活躍する話かと思ったら、別の少年が主人公だったりするライトノベルも多々ある中、逆の意味で表紙絵詐欺かもしれないと思わされる人も多そうな作品が、河東遊民の「傀儡のマトリョーシカ」(講談社ラノベ文庫、660円)だ。

 チェコのアニメーション作家、ヤン・シュヴァンクマイエルのアニメーションのように、どこかおどろおどろしい女性のイラストが表紙を飾る。口絵も中のイラストも版画のようなタッチで、ライトノベルというよりはジュブナイルのような雰囲気を醸し出している。内容では虐とかいった展開が示唆されていて、これは相当に暗くて悲惨な内容かもしれないと感じさせる。

 そんな作品を、今のどこか落ち着かない世情の中、果たして楽しく読めるのだろうかと不安を誘ったのもつかの間、読み始めたら空気の読めない、かといって苛立たせることのない紳士的な莫迦の吶喊があって、珍奇な会話があってちょっぴり楽しく読んで行ける。

 病弱な美人の姉の指令を受けるようにして、阿喰有史という男子生徒は雑賀更紗という女子生徒に友達になってと言い寄る。金を払えばと言われてだったら払おうとして、冗談だと言われ冗談が分からないと答えて、こいつはいったい何者かといった興味を抱かせる。

 そこではいったん諦めるものの、以後も実直に打算なくつきまとっては、だんだんと引き寄せていく阿喰有史の独特のキャラクター性を中心において、その周辺に現れては文芸部員になっていくハーモニーとか、苅部一帆といった面々との関わりを経つつ、文芸部の仕事になっている生徒のお悩み相談に答えていく展開が繰り広げられる。そこには、更紗を虐めから救って欲しいという柳井保美からの以来もあった。

 それならと引き受けた阿喰有史は、教室に行って首謀者と目される池永という女子に面と向かって虐めはやめよう、虐めるなら自分を虐めれば良いと言ってのける。ここにも空気が読めない莫迦の猪突ぶりが見てとれるけど、嫌な存在にならないのはそれが正義とか義侠とかではなく、単純にそう行動するのが最善で最短だという意識が見えるからなのかもしれない。

 もっとも、その池永という女子生徒から持ちこまれた案件もあって、そして彼女ですら誰かに秘密をバラされるからと要求されていじめの片棒を担いでいただけだったことが判明する。だったら誰が更紗を虐めていたのか? といったあたりを探って行きつつ、自分たちにも迫る要求に応じていろいろやったり、罠を張ったりするところに学園ミステリとしての読み所がある。

 誰かが生徒たちの秘密をこっそりと手に入れている。それをネタにして脅している。いったいなぜ? その方法については描写から察知できるけれど、理由についてはひとりの登場人物に特有の性質が背景にあったりする。それを身勝手だと思う一方で、そういう気持もあるのだろうと共感もしたくなる。そんな、青春に溢れた学園ミステリに出会わせてくれた山代政一の表紙絵に感謝したい。

 これが、普通に可愛い少女たちとイケメン男子のイラストだったら、ああそうね、青春ミステリねとしてスルーされたかもしれない。そう考えると、たとえ逆表紙詐欺と呼ばれようとも、シュヴァンクマイエル調の猟奇なイラストを付けて、「この小説を読まなければ、あなたの秘密を公表します。」というコメントで関心を誘った戦略は正しかったのかもしれない。読んでありきたりの青春ミステリだったかというと、キャラクターの独特さはしっかり伝わり他にないものと感じさせてくれたから。

 口絵や中のイラストは流行とは違うけれど、それなりに美少女たちだから安心を。阿喰有史と雑賀更級とのやりとりは、「物語」シリーズの阿羅々木暦と戦場ヶ原ひたぎの関係を思わせるところも。とはいえ、阿喰は育ちもあってひたすら愚直で、けれども無知ではなく暑苦しくもない絶妙な造形がユニーク。その彼が、周囲を巻き込み真相に突っ込んでいく活躍がまた見られるか、期待したくなる。

 もしも続きがあれば、それでイラストは変わってしまうのかが目下の懸案。変わるのなら両方のラインで出していって欲しいところ。賀東招二の「ドラグネットミラージュ」が「コップクラフト」になってイラストが篠房六郎から村田蓮爾になり、喜んだ人とガッカリした人がいたように、山代政一を好きだという人もいるはずだから。きっと。おそらく。


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