幸蜜屋逢魔が時本店 1.纏繞の想

 人の不幸は蜜の味。

 いつごろに、誰が言い出したのかは定かではないけれど、言い得て妙の言葉であって、人は誰かの不幸を横目で見ながら、わが身をそれがごくごく平凡なものであっても、あるいは幸福にほど遠い状態であったとしても、彼らよりはマシだ、彼女たちより真っ当だと思い、安心して生きていくことができる。

 相手がまったくの他人ではなく、強く関わっている存在ならば、その不幸から滴り落ちる蜜の味は、いっそうの濃さを持ったものになる。甘いとは限らない。親しくて愛してさえいた相手を見舞った不幸の味を、甘いと喜べる人はいない。とてつもない苦さを感じてのたうち回るに違いない。逆に憎しみさえ抱いていた相手だったら、その不幸はとてつもない甘さを、味わう人に感じさせるはずだ。

 人の不幸は蜜の味。酸いか甘いか、苦いか辛いか。立場によって異なるその味に触れさせてくれる店がある。「幸蜜屋」。この世とあの世の間、人ならざる者たちが棲まうという≪狭間≫にあるその店を舞台に、人が、人々が蜜の味を舐めて感じる思いを綴った物語が、ヤマイの「幸蜜屋逢魔が時本店 1. 纏繞の想」(辰巳出版、1200円)だ。

 彷徨っていた魂を、鳴良という名を持つ悠久の存在が拾い、人の形にして「幸蜜屋逢魔が時本店」という店に置き、やがて店番にしたのが無子という名の女性。最近来たばかりというメイドの少女が作る、美味しいケーキやお菓子を嗜みながら、≪狭間≫に迷い込んだ人間が語る不幸を、蜜のようにすくいとって溜め込みつつ、その人に不幸を忘れてもらうことを生業にしている。

 そんな「幸蜜屋逢魔が時本店」に迷い混んできた少女がひとり。名を暁鎖弥(さや)という彼女は、高校で出会った同級生の暮橋夕里奈と親しくなり、親密になってそして、それ以上の深い関係になりたいと願いながらも言葉に出せず、態度にも示せないまま時間を重ねていって数年の後。鎖弥の弟の総一郎が夕里奈を見初め、夕里奈も総一郎に惹かれていくのを横に見ながら、鎖弥は悶々とした毎日を繰り返していた。

 そして起こった、陸橋から線路へと落ち、列車に轢かれてしまう事故で夕里奈はいなくなって、鎖弥は激しく嘆き悲しんだ。そんな不幸に苛まれる気持ちが迷い込ませた≪狭間≫に店を開いていた「幸蜜屋逢魔が時本店」で、鎖弥が店主の無子に語った不幸の話からいったいどれだけの蜜が生まれて、甘いお菓子になったのだろう。

 それが分かるのは、事故死してしまった夕里奈の妹の双葉であり、鎖弥の弟の総一郎であり、そして夕里奈自身によって「幸蜜屋逢魔が時店」で語られる、それぞれが感じた不幸の物語を聞いた後になる。そこでは、たぶんそうだろうと想像できた事情が浮かび上がって、募る思いが行き過ぎたあげくに生まれた悲劇、もとい惨劇のすさまじさに戦慄し、慟哭する。

 身近にいた者たちが感じただろう不幸は、とてつもなく強くて激しかったに違いない。そんな不幸を誰もが忘れてしまいと思ったことも想像に難くない。すべてを偽りなく吐露すれば、それらが蜜へと変わって当人はすべてを忘れられると言った無子の言葉を受けて、鎖弥が言葉を綴ったことも分かる。

 もっとも、そんな言葉に感じられた違和感が、後にしっかりと生かされ虚しさ、痛ましさが浮かぶ展開へとつながっていく。そんな伏線の張り方がなかなかに巧みで、なおかつ人がそれぞれに感じる不幸とは何か、それとどう向き合っていくかがしっかりと示され、終幕する物語へとまとめあげた手腕もなかなかのもの。名のある書き手に違いないとヤマイという作者を調べると、普段はニコニコ動画の歌姫であり、本職としても活動している歌手の人というから驚きだ。それでこれだけのものが書けてしまうから、人の才能は恐ろしい。そして素晴らしい。

 芥川龍之介の「藪の中」という短編小説は、ひとつの事象について語られていながら、それぞれの立場の違いがもたらす主観によって見え方が違うという、現実の曖昧な様が示される。「幸蜜屋逢魔が時補填 1.纏繞の想」もまた、ひとつの事象について様々な視点から言葉が紡がれるが、こちらではひとりの少女に向けられる、立場によって異なる想いが交錯した果てに、そうだろうと思われた真相が浮かび上がってくる。そこから漂うのは、愛という感情のすさまじくも複雑な様だ。

 愛からは実に多彩な感情が生まれてくる。入れられなかった愛がもたらす懊悩があり、奪われた愛から生まれる悲しみから逃げず、噛みしめていこうとする勇気がある。愛だと思っていたものが愛ではなく、嫉妬や羨望の感情でしかない場合もある。向けられたさまざまな愛を選び、応えさばいていくことができない困難も示される。

 そんな愛のさまざまな形から、幸福が芽生えることもあれば、絶望に近い不幸へと突き進むこともある。愛に絶望を覚えたくもなるだろう。けれども、それでも愛は文字通りにいとおしい。不幸せな愛から悲しみを振り払い、幸せへと転じてこれからを生きていくための道をつかむ。「幸蜜屋逢魔が時本店 1.纏繞の想」は、そのための方策を与えてくれる物語なのかもしれない。

 だからだろう、惨劇と悲劇のカタマリのようなストーリーだけれど、それでも読み終えて絶望に苛まれないのは。人の不幸は蜜の味。それがたとえ甘くても苦くても、味わってこそ人は未来へと歩んでいけるのだと知ろう。


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