コスプレ温泉

 満員電車で読むの禁止。という本があるとしたら吉岡平の「コスプレ温泉」(朝日ソノラマ、495円)がまさにそれ。気付かずぎゅうぎゅう詰めの電車でページを開いてすぐに、むぐむぐっとした笑いが腹の奥からせり上がってきて、頑張って口をとじても笑いが喉元あたりにつかえて、ごぶごぶっとした音を立てるから、隣のOLや女子中学生に気味悪がられること確実だ。タイトルも「コスプレ温泉」なんて実にアヤシゲだし。

 もっとも「コスプレ温泉」というタイトルがOLに女子中学生の視線を冷たくするのは彼女たちが”コスプレ”なるものの存在なり、意味なり形を知っているからであって、ごくごく普通に生まれごくごく普通に育って、ごくごく普通に進学なり、就職をした人たちには”コスプレ”というタイトルの本で笑う人間が、漫画雑誌を読んで笑う人間以上にウスキミ悪いのかはきっと分からない。

 「コスプレ温泉」で主役を張る乾岬23歳もおそらくはそんな1人。ある日、勤めていた「そげな銀行」の西竹口支店に行ったら、国有化にともない女子行員は全員解雇という聞くも涙の処遇にあい、せめて一矢と行員たちの間で巻き起こった支店内のティッシュやら、貯金箱やらを奪い合う戦いにも敗れて1人、昔見ていた「VS騎士ラムネ&40炎」のテーマソング「未来形アイドル」を口ずさみながら、公園をにへらっと歩いていたその時のこと。

 近寄ってきたのが同じ支店の後輩にあたる竹川頼子。支店では地味で目立たない眼鏡っ娘の行員だった彼女が、なぜか岬に目を付け自分が出入りしていたあるイベントへと誘うのだった。それが「大田区産業プラザPio」で開催されていた奇妙なイベント。何も知らない岬は、頭を緑に染めて刀を3本持った男がどうして存在するのか、男物のジャージを着て手にはテニスラケットを持った女性たちがどうしてたむろしているのか、紫やピンクの髪をした人が多く、ブーツが異常に多いイベントが何なのか最初はまるで分からなかった。

 有明には30センチを超えるものは持ち込めないと言い、自身を「こよりん」なる”コスネー”で呼んでと岬に言う頼子の言葉に戸惑っていた岬も、やがてその場が”一部巷で噂”のコスプレイベントだったと気付き、なおかつ実はコスプレ界の重鎮だった頼子の仕切りで「カノン」の衣装を着せられ、群がるカメラ小僧の前に立つ羽目となってしまう。ところがそこは負けず嫌いで好奇心も強い岬のこと。”制服美人”と呼ばれるくらいにコスチュームが似合う容姿体型をしていたこともあって、みるみるうちにイベントでも有名なコスプレイヤーとなっていく。

 そして挑んだ”おたくの甲子園”でありまた、レイヤーにとって超えなければならない暑くて高い壁、夏の「コミックマーケット」3日連続炎天下での西館屋上コスプレ広場におけるポージングに励み、一説には30歳をとうに過ぎていると言われながら衰えない容色でコスプレ界にその名をとどろかせ、各種コスプレイベントを主催する夫とともにコスプレ界を仕切っていた女帝、火巫女を相手に最後の決戦を挑むのだった。

 と、普通だったられで1本の話だって作れそうなところを、そこはベテランだけあって吉岡平、2ひねりも4ひねりもみせては残る半分の物語を作りだし、タイトルにもなっている「コスプレ温泉」へと進ませる。ひなびた温泉。2億円の借金に存亡が危ぶまれた実家の宿を建て直すべく、岬は頼子を連れ、妹で実は若き同人作家として人気を博しつつある妹も混ぜ入れ起死回生の手へと出る。「コスプレ温泉」ここに開幕、といった所だろう。

 とにかく圧倒されるのが、物語の中で描かれるレイヤーへへの言及の詳細さ、リアルっぽさで、そこはそれ、過去3年半を自腹でコスプレなり同人誌のイベントへと通い、調べた上げた知識を存分に盛り込んであるため、読んで納得の面白さを堪能できる。あるいは本当のレイヤーの人たちから見れば、コスプレをする心理なり、コスプレーヤーやカメラ小僧の生態なりに異論を述べたい部分があるかもしれない。けれども少しばかりコスプレって何かを見知っている人間には、本当らしさは存分に伝わってくる内容になっている。

 レイヤーがど日々どれだけの苦労をし、また歳とも戦いながら必死にコスプレをしているのかがつまびらかになり、一方でレイヤーを相手にどこにでも行くカメコことカメラ小僧とについても、なるほどそういったしきたりで動いているのかと勉強になる。たとえ赤貧にあえいでもイメクラ系にだけは向かってはいけない、いけない問いにははっきりいけないことだと伝えよう等々、レイヤーの心理を知れば知るほとその道に命をかけているんだということが見えてくる。3年半の取材は伊達じゃない。

 レイヤーの常識すら超えかねないSF一党の生態への言及もあって、一例として「日本SF大会」なるイベントを受けてこなした岬たちが、大会の終了後、2度と「日本SF大会」は開催したくないとぼやく部分があって、傍目では普通に見えないレイヤーっちの常識をも超える、すさまじくも恐ろしい人たちが「SF」の世界にはいるんだと教えられる。何しろ「コスプレ」すなわち「マスカレード」の原始は「日本SF大会」だという話もあるほど。その間口の広さを思えば、不思議な人がSFに多くいても不思議はない。

 それはそれとして、レイヤーに話を戻せばその筋では圧倒的な有名人であっても、別の世界からはまるで関心を持たれていないという状況があるんだということを、物語に登場する世界的に有名なSFイラストレーターの夫と、天下にその名を轟かせたコスプレイヤー、火巫女という妻の夫婦のなれそめを聞いて思い返す。

 タコツボ化する情報の弊害、と言えば言えるがそれより異なりつつも似通った部分の多い夫婦が、絶妙なバランスで重なる可能性を見せられると、レイヤーをやりつつ別の趣味を持った男性(または女性)を見つけ伴侶に出来るのではと思えて来るが、しかし現実はそれほど甘くはないのだろう。

 むしろ「コスプレ酒場」では、超有名漫画家でありながらコスプレイヤーでもある男と岬との惹き惹かれする関係も1本の軸になっている程。狙うならはやりコスプレイヤー、それもお金に微塵も困っていないレイヤーを捕まえる算段をした方が良さそう3年半の取材の、それが成果だったりするのかもしれない。

 本編もは本編としてそれ以上に「あとがき」が読者の興味を引く内容になっている「コスプレ酒場」。本編のことには微塵も触れずにひたすら「デジタル一眼レフ」の話ばかりを書いている。カメラメーカーへの要望もここで書き記していて、結論から言えば「たったひとつ! 私は、人物しか撮らない! だから、フルサイズの撮像素子でなくていい! 今のサイズのままでいい! ただ、それを九〇度寝かせて、『縦』に配置してくれ! そうすれば『普通』に構えて縦位置になるから」とひとつのことを強く訴えている。

 そこまでして縦位置にこだわる理由は何なのか。「この小説に、三年半の潜入取材を『自腹』で行いました。これからも潜入取材は続けます」という「あとがき」の言葉からは、デジ一眼で人物を、それも過去3年半にわたって潜入取材を続け撮っててきた被写体を、これからも追い続けるのだという決意が伺える。すなわちそれは……といった所だが果たして真相や如何に。気になる人は「大田区産業プラザPio」でも「東京ビッグサイト」でも、行ってレイヤーを囲むカメコの中に、最新のデジ一眼を下げた男がいるかを見つけて聞き出すのだ。


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