九つの、物語

 ホールトマトの種は抜き取るべきか、抜かずにいっしょに煮込むべきかと迷った青春時代。独り暮らしを始めて、せっかくだから料理に凝ってみようと考え、スパゲッティのトマトソースを最初から作ろうとして、缶詰からホールトマトとトマトジュースを鍋に移してぐじゃぐじゃと潰しながら、考えた。

 前に何度か一緒に煮込んだことがあったけど、食べた時に種が口に入って食感がちょっと微妙だった。だから抜くのが正解なのかもと思ったけれど、イタリア的にはどうなのかと調べようとして、結局分からずどうしたものかと迷って悩んだ。

 ネットが出て来た最近になって調べたら、抜く人もいれば、一緒に煮込む人もいるらしいと分かったけれど、もっと調べると、本場のイタリアにだって種を抜く「パッサヴェルドゥーラ」という装置があると判明。だからやっぱり、種は抜くのが正解なのだろう。

 もっとも、台所に本が積み上がって、レンジにも流しにもなかなか近づけなくなった今では、料理なんてする気も起こらず、ましてやトマトソースなんて面倒なものを作る気持ちにもならない。そもそも1人で食べるためだけに、トマトソースを作るのって何だかわびしい。そうじゃない?

 そんな時、橋本紡の「九つの、物語」(集英社、1300円)という本を読むと、とっても料理が作りたくなってくる。それも自分で食べるためじゃなくて、誰かに食べてもらうために料理を作ってみたくなる。

 女子大生の藤村ゆきなが兄の部屋で泉鏡花の「縷紅新草」を読んでいたら、そこに兄が入ってきて、「前から言ってるだろう。俺の部屋に入るなよ」と妹を叱る。そんな言葉に驚いて、目を何度も閉じたり開いたりして兄を見たゆきな。だって兄は……。

 そんな場面から始まる物語は、一方で日本の古典ではないけれど現代のものではない、文学全集に入っているような作家の作品をモチーフにしていて、そこに描かれている古風だったり、案外に先進的だったりする人間の関係になぞらえて、母に憎しみを抱き、父に諦めを抱いているゆきなが、香月くんという彼氏を得て、接近し、ちょっぴり離れて迷ったりしながら、それでも近づこうとあがくストーリーが繰り広げられる。

 野村美月の「“文学少女”」シリーズだと、1冊に1話、古今の名作文学がモチーフに取り上げられている。「九つの、物語」では9つの短編で9編の文学。このうち2つは井伏鱒二の「山椒魚」で、改稿前と改稿後でまるっきり変わってしまっている読後感をより所に、ずっと対立したままで良いのか、それともやっぱり仲直りをした方がいいのかといった、人間関係への示唆が描かれる。

 ほかに挙げられているのは、田山花袋や内田百聞や太宰治や樋口一葉といった作家たち。見知ってはいても、今さら読むのはちょっとと気が引けていたけれど、そうかそんなことが描かれていたのかと分かって、手にとってみたくなった。

 もうひとつのモチーフが料理。女の子とはふたまた、みつまたしても平気というナンパな兄だけど、なぜか料理が得意で、妹にも腹減ったか、何か食べるかと言ってはどんどんと料理を作っていく。

 トマトソースのスパゲティだったり、皮まで手作りの小包籠だったり、親戚から送られてくる素麺を使ったフォーだっりと実に多彩。それらの材料選びから調理方法までが描かれていて、そうすれば出来上がるんだと分かってこれまた自分で作ってみたくなる。

 カギは、それが食べてみたくなるってことじゃなく、作ってあげたくなるというところ。悩んでいたり、困っていたりしている人のために、何かしてあげたくなるって気持ちが浮かんで、そんな気持ちをどう表現するかに迷った場合に、ひとつのコミュニケーションの手段として、料理が有効なんじゃないかと思わせてくれる。

 食べることも楽しいけれど、食べさせることはもっと楽しい。だって食べさせるのは、相手がいて初めて成立することだから。孤独なままでは不可能なこと。1人でだって生きてはいけるけど、1人じゃあやっぱり寂しいかもしれない。そんなことに気づかせてくれて、だったらどうしようかと思わせてくれる。

 両親とぎくしゃくして、彼とも疎遠になりかけて、ひとりでいいやって思いこみ始めた時に振る舞われる兄の手料理。自分のために何かをしてくれる人がいて、誰かのために何かをしようとする人がいるんだと分って、つながりふくらんでいくほのぼのとした空気が、寂しさに沈んではいけないと、背中を引っ張り上げてくれる。外へと押し出してくれる

 唐突な非日常が平凡な日常に起こって、それでも平凡な暮らしが続いていくけれど、そまでの永遠の日常とはやっぱり違って、すこづつ変わっていく。橋本紡が昔から得意として来たフォーマットが、「九つの、物語」ではぐっと鮮明になった感じがある。非日常を非現実的と厭う人もいそうだけれど、行き詰まった日々を溶かすのに、必要なものなんだと感じられれば気にならない。

 文学の香り立ち上り、料理の匂い立ちこめる連作式の長編物語。ちょっぴりの辛くて悲しいスパイスも利いている。さんざんに翻弄されたあとは、誰もが紹介されている小説を自分で読み、そして紹介されている料理を自分で作り、誰かに振る舞ってみたくなるだろう。そんな気持ちにさせてくれる小説があるということと、一緒に。


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