嫌われエースの数奇な恋路

 甲子園大会の地区予選で連投の果てに怪我をした高校野球のエースが、選手を退いて野球部のマネージャーをやりながらも密かに練習して、翌年の地区予選で選手として投手として華麗なる復活を遂げ、チームを甲子園に連れて行く。そんな物語があっとして、とても感動ではあるけれど、どこかありきたりといった印象が浮かぶ。あとは無理筋といった。

 練習時間をみっちりとっている選手たちと違って、空いた時間しか練習できないマネージャーの身分で、甲子園レベルの競技について行けるはずもない。そんな現実を踏まえてもなお、ドリームを見せてくれる小説もあるけれど、田辺ユウの「嫌われエースの数奇な恋路」(電撃文庫、630円)はそうはらならない。美談でも、感動のストーリーでもない展開になっていて、これが現実の高校野球なのかもと思わせる。でも決して苦くはない。むしろ誇らしい。

 押井数奇は今でこそ野球部のマネージャーをしているけれど、元々は野球部のピッチャーで、1年生ながらも先輩に負けない球を放っていて、甲子園の予選では怪我をした先輩の代わりに投げて投げて投げ抜いていたら怪我をした。それが原因で地区予選の決勝で敗退したけれど、先輩たちにとってはよくぞまあそこまで連れて言ってくれて感謝の気持ちでいっぱいだった。

 にも関わらず、そうでない下級生からは自分のワガママで投げ続けて怪我をして、甲子園行きを台無しにした戦犯扱いされている。冷静に考えればそうでないことくらい分かるはずだけれど、目の前で夢を絶たれた悔しさ、先輩たちを慕う気落ちが数奇への反発へと向かい、彼を選手の座から引きずり下ろす。

 というより怪我で投げられない状況で、選手としては降りるしかなかった数奇だったけれど、なぜか野球部を辞めずにマネージャーとして留まった。それは、彼の頑張りを知った先輩たちの思いを汲んでのものでもあるけれど、辞めずに残ってできることもあるといった判断、そしていつか復活という気持も持ってのことらしい。

 とはいえ、やっぱり先輩やら同級生には受けが悪い数奇は、マネージャーとして主に1年生の面倒を見ていた、そんな中で野球部自体の活躍もあって、新しくマネージャーになりたいとう女子が大勢集まった。50人ほど。それを自分が担当だからと蹴っ飛ばした数奇の言い分を聞かず、ひとり留まったのが蓮尾凜という少女。野球に詳しく頭も良くて口も悪い彼女は、数奇の拒絶も突破して残りマネージャーとして活動を始める。

 どうしてそこまで? といったところに数奇との関係もあるようす。そうした凜の言動と表裏一体なのが、数奇自身が今も抱いている野球への情熱、野球部への愛情といったところ。甲子園の夢を絶った人間として嫌う先輩や同級生たちがいる中で、そう言っているだけでは何の解決にもならないことを、時に悪口混じりで言い放ち、時に自らプレーでもって証明してのける数奇の“正論”には逆らいがたいものがある。

 だからこそ、嫌ってはいてもはじき出さずに言い分は取り入れ練習に励む選手たち。同じ目的のために対立を収め、視線を合わせていく流れはいがみ合うだけの状況を突破するヒントを与えてくれる。打算とか妥協とか呼ぼうとも、それが必要ならそうするしかない。感情に流されてはいけない。当たり前だけれどなかなか出来ない態度がそこにある。

 もうひとつ、いくら密かに練習をしてもそれなりの球を投げられるようになっても、故障は故障で一朝一夕には治らない。そんな現実に直面しながらも数奇がやるときにはやることで部員たちを奮い立たせ、甲子園行きを促すところもまた格好いい。予選のマウンドに立ち、快刀乱麻と投げて勝って完全復活、というドラマも確かに格好いい。けれども、現実の前にどこまで最善をつかめるか、といったこともまた、重用なのだから。

 理路整然と状況を束ね、着実に前へと進むための指針を感じさせてくれる青春スポーツ物語。熱血によって鼓舞される物語よりも、理不尽ないじめとかに沈むよりも今、どこか先の見えにくい世の中が必要としてうのはこうした、冷静に考えて行動する必要性を諭してくれる物語なのかもしれない。


積ん読パラダイスへ戻る