鬼哭。−続・晴明。−

 人間なら誰でも、生きている意味、生きていかねばならない意味を深く考える時がある。

 歴史に自分の名前など残せるはずがないし、そもそも歴史なんてものは、人類が存在する間の御物でしかない。何万年、何億年もの時間のなかでは、人類などまばたきするほどの間に生まれ育ち消えていく存在でしかない。ましてや自分という存在など、ゼロに等しい意味しか持たない。

 どこに生きている必要があるのだろう。どこに生きていかねばならない訳があるのだろう。人間だったら誰しも抱く、そんな心の葛藤を、加門七海はその著書「鬼哭。−続・晴明。−」(朝日ソノラマ、上480円、下540円)の中で、稀代の陰陽師である安倍晴明に託して語ろうとしている。

 28歳になった安倍晴明は、陰陽師として類希なる能力を羨まれ、京を護る神と崇められてていたが、一方で狐の子と蔑まれ、心の奥底に潜む鬼の性を畏怖しながら生きていた。心の葛藤を晴らしに行った那智で、1000日の修行を終えて京に帰った晴明。そこで彼が見たものは、京を包む禍の兆しだった。

 陰陽師として、京を護る務めにつかねばならない晴明だったが、ふとしたきっかけで京の街を漂泊する童子の妖(あやかし)を見た。神として京を護るべきなのか。鬼神と化して京を破滅へと導くべきなのか。葛藤する心の隙間に、魔がしのびこんで晴明を魅了する。呼び戻そうとする陰陽寮の仲間たちの問いかけも虚しく、晴明は己の鬼の性に、その身をゆだねようとしていた。

 権勢欲にとりつかれ、人をおしのけてでも前に進もうとする人間の醜さに、晴明はその純粋な心を傷つけられる。人間によって傷つけられた心は、その純粋さを保ちつつ、人間への反感へと転化し、晴明は鬼神への道を歩もうとする。

 思えば加門七海は、デビュー作の「人丸調伏令」からずっと、人は正義であり魔は悪であるという価値観の不確かさを問い続けてきたような気がする。人の心に溜まった澱を受け取り、苦しみもだえる鬼「人丸」の姿に、人間であった主人公は疑問を抱く。晴明もまた、京の都合だけで正義と崇められている己の存在に悩み惑う。しかし最後には、絶対的な価値観など存在しないことを知りつつも、押しつけられた価値観に従わざるを得ない運命を受け入れる。こうして人は、生きていくための術を得るのだ。

 「鬼哭。」は間違いなく、加門七海の最高傑作である。ヤングアダルトというジャンルの枠を超えて、広く読み嗣がれるべき本である。次作を。そしてさらなる傑作を。


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