聞こえない君の歌声を、僕だけが知っている。

 それはまだ1周目なのだと思いたい。それとも何十周だとか何百周の果ての出来事であっても、いつか誰もがずっと笑顔で触れあっていつづけられる時が巡って来ることを願いたい。

 松山剛の「聞こえない君の歌声を、僕だけが知っている。」(メディアワークス文庫、630円)を読んで、慟哭にむせびながらそんなことを思った。どういう意味かはこの小説を読み終えた人なら分かるだろう。そうでない人にはこれから読んで欲しいと告げる。きっと同じような思いに捉えられるから。同時に変えられない運命なら今を精いっぱいに生きようと思えてくるから。

 父親を早くに失い、女手一つで育ててくれた母親も大学への合格が決まった翌日に過労が祟って死んでしまった永瀬英治という青年は、学費を貯めていてくれた母親の思いも受けて大学へと通い始めて友人もでき、その中から「無声少女」というネットで流行り始めている動画のことを知る。

 “歌ってみた”の生主なりユーチューバーが、歌っている動画を投稿しているものではない。映っている少女は確かに何か歌っているように見えるけれど、そこには歌声がついていない。だから無声少女。けれども真剣に歌うその仕草や表情が話題になって「無声少女」の動画へのアクセスは増え、口の動きに合わせるように歌詞をつけて投稿し直す者も現れた。

 それもまた人気になったけれど、永瀬は無声のままの動画に強く惹かれて、そのまましばらく「無声少女」を見続けていた、そんなある日、講義中にスマートフォンで再生した「無声少女」の動画から音声が流れ始めた。慌てて消して周囲を見渡し、そしてまた再生をしても周囲が驚いている様子はない。

 どうやら「無声少女」の歌声は自分だけにしか聞こえていない。つまりは幻聴? そう考えるのが普通で、医者にも診てもらったものの原因は分からず、症状も認められなかった。だったら何が原因か? 分からないまま永瀬は聞こえて来た歌詞を書き留め、そこで歌われているいくつかのキーワードを抜き出し、ヒントになりそうな場所を類推し、ネットの力も借りてひとつの地域が関係していそうだと割り出す。

 幻聴は止まらず、どうにかしようといった思いもあって割り出された場所を訪ねた永瀬は、そこでひとりの少女と出会う。けれども彼女は「無声少女」ではなかった。それでも「無声少女」の歌っている歌とは関わりがあった。どういうことなのか。それはサクヤと名乗った少女も思ったようで、2人はいっしょになってどうして「無声少女」がその歌詞を歌っているのかを調べ始める。

 そしてたどり着いたひとつの答えが、慟哭しか浮かばない運命の残酷さといったものを浮かび上がらせる。永瀬は迷う。その運命を選べば導かれるひとつの未来がある。同時に失われる現在もあったりする。永瀬に限らず誰だって迷いそうな運命の分かれ目に対し、出された答えに無言で頭を垂れ、ありがとうという気持を送りたくなる。

 失われる何かがあると分かっているひとつの未来に向かって、きびすを返すことはせず脇にそれることもしないでまっすぐに歩み出す。それは勇気だろう。そして愛だろう。自分にも注がれてきた愛を、自分だけが独り占めにしてはいけない、後に繋いでいかなくてはいけないという思いもあったのかもしれない。そうすることによって誰かが幸福になるのなら、迷わずに運命を選ぼうとする気持の尊さを浴びて涙する。

 そして同時に、ここではたどりつけなかった未来へと、もしかしたらつながる運命がいつか訪れるのかもしれないと期待する。1周では変えられなかったとしても、何十回、何百回とトライし続けることでちょっとずつ変わっていった果てに、もう大丈夫な世界が待っているのかもしれない。そうあって欲しいし、そうでなくてはいけないとすら思う。

 もちろん現実はひとつの時間しか流れない。だから選び取った運命を変えることはできないけれど、それならなおのこと、誰かの幸福を最大限に願いって今をめいっぱいに生きることが必要なのだ。今もどこかから発せられているだろう「無声少女」の見えない動画から流れている聞こえない呼びかけを心に感じて、後悔しない運命を選び取る努力をしていこう。

 泣いていたって始まらない。怒っていても変わらないなら自分に出来ることをしよう。僕だけが君の歌声を知っているなら、それを僕たちのため、誰かたのためにつなげる生き方を誰もがしよう。そうやって生まれる世界から、理不尽な慟哭が少しでもなくなることを願って。


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