大江戸妖怪かわら版 異界より落ち来る者あり

 宵越しの銭なんてもたなくたって、なくなったら働けば日々の暮らしに必要なお金はもらえたし、怪我をしたり歳を取って働けなくなってても、長屋の誰かが助けてくれて暮らしていけた。

 それに火事と喧嘩は江戸の華。火事が起これば一切合切が塵と化す。蓄財なんてできやしないなら使わず貯めておいても仕方がない。だから江戸っ子たちは宵越しの銭なんて持たないで、毎日を楽しく働き遊んで生きて、そして明るく死んでいった。

 そんな人情に溢れた素晴らしい大江戸が、さらに素晴らしい人情ならぬ”化け物情”に溢れた街だったら? 香月日輪の「大江戸妖怪かわら版 異界より落ち来る者あり 上・下」(理論社、各1000円)は、まさしくそんな大江戸に生きることの楽しさを、語り描いてくれた物語だ。

 主人公は雀という名の子供。子供といってもすでに手に職を付けていて、かわら版を書く仕事をして生きている。火事があれば見に行って、仙女のような綺麗な青年につかまり中空を飛んで観察する。

 戻ってさらさらと記事を書くと、のっぺらぼうのキュー太(名付けたのは雀)が華麗な絵を付け、蜘蛛のような刷り師が版木を掘ってかわら版へと仕立ててくれる。雀はそれを受け取り大江戸の街へと出かけては、口上も鮮やかに集まる江戸っ子たちに売りまくる。

 服を着てワインをたしなむ大きなネコと連れだっては大江戸の街を歩き回り、狼のように恐ろしげな顔をした同心から事件のネタを広い、大きなウサギのいる飯屋の上で雀を最初に世話してくれた魔人に挨拶をしてまた街に出る。まさに怪物ばかり、妖怪ばかりの世界にあって人間なのは雀だけ。

 そうなのだ。この大江戸はあの大江戸とは違って、暮らしているのはすべてが化け物。けれども誰も誰かを化かさず脅かさず、誰も誰かを食べず誰も誰かを怖がらない。みんな気の良い人……ではなく化け物ばかり。親切で情に溢れ、粋で気っ風の良い江戸っ子たちなのだ。

 「大江戸かわら版 異界より落ち来る者あり」は、あることがきっかけてこの大江戸へと落ちてきた雀が、化け物たちと出会い触れあい情を受けながら過ごす日常を通して、世知辛い人間世界では失われてしまった情とか、親切の尊さに気付かせてくれる物語だ。

 大江戸は決してパラダイスではない。なるほど人情には厚い。けれどもそれは一方通行ではない。自分が誰かのために出来ること。大江戸のために出来ること。それがなければ大江戸の誰も自分を認めてくれない。必要としてくれない。与えて、与えられる連鎖が大江戸を人情のネットワークで繋いでいる。そこから外れては生きていけない。

 雀のよう落ちてきた人間の女の子がいても、自分たちの暮らしに無理矢理引っ張り込むようなこともしない。一時の感情に揺れてるけど、女の子にとって本当に最適な状況とは何なのかを、女の子が自分で決断できるようになるまで、ニコニコとしながら見守っている。この大江戸に少女の居場所はまだないのだ。

 雀には、送り返した女の子のように、元いた世界に置いてきた未練はなかった。かといってこの大江戸で生きていって良いのかも分からなかった。自分はどうして生きているのか。誰のために生きているのか。そもそも生きていたいのか。分からないまま迷っていた。

 そんな雀がこの大江戸を選んだのは、自分で自分が世界のために出来ることを見つけられたから。かわら版屋という仕事を見つけたから。最初は手探りだった。自身もなかった。そこに大勢の後押しがあった。褒めてくれて導いてくれた。何より努力した。そのステップに、やりもしないうちから諦めている人が大勢いるこの現実の至らなさを思い知らされる。前向きに生きていこうと気持ちを高められる。

 童話よりはやや上で、ライトノベルよりはやや下の、ヤングアダルトとでも言えば良さそうなカテゴリーに属する物語。けれども大人が読んでも存分に面白く、キャラクターで読むライトノベルのファンが手に取っても、抱負で特徴的なキャラクターたちが織りなすドラマを存分に楽しめる。

 大江戸の言葉に溢れ、読んでテンポも楽しく、大江戸の人情や小粋さに満ちて、読んで心が温かくなる。美少女との出会いもなければ、世界を脅かす敵とのバトルもないけれど、化け物の闊歩する世界のビジョンは異世界ファンタジーに並ぶ楽しさ。雀や仲間たちが事件に挑み解決していく展開はミステリーの味わいも与えてくれる。

 なにより居場所に苦しみ、もだえていて雀が大江戸という街で本当の居場所を探し出し、見つけ出して生きていく力を得る雀の物語が、今を悩んで足踏みしている人たちに、何かを与えてくれる。必要としてくれる誰かがいる。必要としてくれている場所があるんだと教えてくれる。

 気付こう。そして明日へと足を踏み出そう。


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