仮想天使は魔術を詠う

 詠おう、凍え果て燃え尽き崩れ落ちるほどの歌を。

 ソフトウェア技術の発達で、人間に近い声音で音程もしっかりとした歌を唄わせられるようになった現在から、想像できる未来はもっと人間に近く、あるいは人間すら超える巧みさで歌を唄う人工知性の登場だろう。やはり一段と高度化するコンピュータグラフィックスの技術とも相まって、人間と見紛うばかりの存在感を持って可憐に唄うバーチャルアイドルが、誕生する日も遠くはないかもしれない。

 榊一郎の「仮想天使は魔術を詠う」(PHPスマッシュ文庫、705円)ではさらに、というよりは少し違った方向へと技術が進んだ世界を舞台に、コンピュータから現れた美少女が、人間と聞き違えるほどの歌声を聴かせ、なおかつ人智を超えた能力を発揮して戦い、人間を導くストーリーが描かれる。

 ネットのどこかから配信されている、コンピュータに歌を唄わせる音声合成ソフトの一種をダウンロードした主人公の山賀連士郎が、まるで心理テストを受けているような細かい質問に答え、ソフトの初期設定を終えると、そこから3DCGどころか立体視ですら飛び超えた、実体を持った少女が現れた。彼女は、その一帯で密かに繰り広げられていた、魔術を駆使した戦いの中で、「呪歌詠唱用仮想人格(ガルドロイド)」として、参加者たちの唱える呪歌を詠い、武器であり戦士として戦う存在だった。

 勝ち抜いてチャンピオンになれば、ひとつ何かを<消し去る>ことが出来るというその戦いに連士郎は、現れた燈音シンクという名のガルドロイドを使い、病気により声を失ってしまった、幼なじみの朱伊彩葉という少女の声を取り戻すために身を投じる。

 ガルドロイドたちが詠う歌声は、それぞれが魔術を起動する呪文となっていて、あるいは氷を招き、あるいは火を呼んで敵を攻撃する。勝利するにはガルドロイドが入っている端末なり、大元となっているデータを破壊するか、相手に参ったと言わせるか、それすら言わせず命を奪うかすればいい。

 それならデータが入っているパソコンを、家ごとぶち壊せば良いのでは、といったことも浮かぶし、中にはそうやって勝ち上がった者もいたかもしれないけれど、幸いに連士郎の前には、そこまで派手な戦いを選ぶ敵はいなかった。もっとも魔術を得たばかりで、状況も戦い方もよく分かっていないビギナーを狙って、セコく勝とうとする敵や、不意を付こうとした敵はいた。確かに勝つには有効な方策だから。

 連士郎も最初、そうした卑怯で合理的な敵に出会うものの、通っている学校の知り合いで、銀髪で長身で美少女なのに肉が大好きで性格は親父のような大金持ちの令嬢が、同じ参加者として現れ、卑怯は嫌いだと連士郎に味方してくれたこともあって戦いを降りずに済んだ。

 京王銀香というその少女も、同じ戦いに参加している敵であることには変わりはなく、やがて連士郎と戦うことになったけれど、そこで連士郎はシンクを作りあげた時の複雑な心境が呼んだ、ほかにはない不思議な力に気付くことで、銀香にも勝利して頂点を目指し突き進んでいく。

 そして分かった、彩葉の声が失われてしまった理由。ならば、勝利して得た権利によって、ガルドロイドを呼んで競い戦うこの戦いそのものを<消し去る>ことで、すべてをなかったことにできるのでは、といった思いも浮かぶけれど、それは戦いそのものの存立に関わる事項として、魔術では消し去ることはできないのかもしれない。

 だから、連士郎は闘い続けるしかなかった。勝利したものの、それでかなえられる望みは1つ。そして、生きて大勢と触れあってくれば、かなえたい願いがたった1つで収まることはない。大勢のために連士郎は戦うことにした。凍えさせ熱して突破し続ける。燈音シンクの詠によって。

 声を失ってしまった彩葉に、かつて彼女が出した声を元にして、コンピュータによって歌を合成して少女に聞かせることは残酷なのか、それとも希望を持ってもらうために必要なことなのか、迷うところではある。人によっては非道な仕打ちと誹るだろう。ただ、それで彩音は立ち直った。生きていこうと思うことにした。その理由が、連士郎から放たれる勝利への自信ではなく、連士郎が強く自分を思ってくれる心だったのだとしたら、現実に魔術なんて存在しないこの世界で、人を勇気づけるために必要なものは何かを、示唆しているのかもしれない。

 音声合成ソフトを使って、化身の戦士を作り出す設定というからには、創造主の音楽に関する才能の有無が、ガルドロイドの力の差異となって現れるような描写が、もっとあっても面白かったかもしれない。そこは「神曲奏界ポリフォニカ」シリーズで、音楽の力が精霊を癒し、世界を整えるストーリーを書いた作者だけに、続編のようなものがあるなら、もうちょっと踏み込んでくれるだろう。そう願って待とう、連士郎がさらなる困難を乗り越えて、本当に欲しかった奇跡を掴む物語を。


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