華竜の宮

 地球温暖化で気候変動が起こり、人類に大災害をもたらすという意見がある。いや違う、地球はむしろ寒冷化しているという意見もある。

 どちらにしても、身の回りに食べものが豊富にあって、豪雨や豪雪に見舞われている訳でもない現状では、温暖化防止のためにエネルギー消費を減らそう、災害に備えて食糧を確保しておこうといった気にはならない

。  だからこそ、いつか訪れるだろう終末への想像をかき立て、いつか迎えるその時への心構えを持たせる物語が、人類には必要だ。小松左京の「日本沈没」しかり、そして上田早夕里の「華竜の宮」(早川書房、2000円)しかり。

 1973年に刊行されるや、日本に一大ブームをまきおこし、映画やテレビドラマにもなった小松左京の「日本沈没」は、今まさに暮らしている日本列島を襲う沈没という脅威を描いて、日本人に災害への恐怖を覚えさせ、備えの大切さを意識させた。

 それから27年。小松左京の名を冠した新人賞を受賞しデビューした上田早夕里による「華竜の宮」は、沈める対象を日本どころか世界全体へと広げて、日本人に留まらず人類全体に、とてつもなく大きな警鐘を与える。

 地球の表面に近い地核の変動で日本を沈めた「日本沈没」。対して「華竜の宮」は、地球の中心からわきあがるホットプルームと呼ばれる熱流が、海底を押し上げ海面を250メートル以上も上昇させて、陸地のほとんどを海面下に沈めてしまう。

 そんな世界でも人類は、バラバラにはならず、文明も後退させないで、地域ごとに連合をつくって社会秩序を保ち、陸地や海上に作った都市に暮らして、25世紀まで生き延びた。一方では、大きく広がった海に出て、暮らし始めた人類もあった。

 その海上民たちが、住まいとし、移動のときの乗りものとして駆っているのが<魚舟>だ。木や金属で作られた船ではなく、数10メートルにも及ぶサンショウウオに似た巨大な海洋生物を操って動かすもの。陸地が海に沈んでから数百年の間に作り出され、海上民の暮らしに欠かせないパートナーとして広まっていった。

 こうした展開からは、どんなに環境が変化しても、人類はちゃんと順応し、生き延びていくのだという強さが見える。文明の恩恵を受けて、陸地や海上都市にとどまるか。それとも、自由に海を行き来する海上民の道を選ぶか。描かれる未来の人類の姿から、自分たちの未来を考えてみたくなる。

 ただし。そうした進化のビジョンにとどまらないところが、「華宮の竜」の苛烈さであり壮絶さだ。陸上民は強いプライドと高い科学力で海上民を支配しようとし、海上民は豊富な資源と自由さをバックに、優位性を保とうとする。共存共栄とはいかない両者の間には、さまざまな争いがおこって、どちらにとってもよくない結果をもたらそうとする。

 「華竜の宮」では、そんな陸上民と海上民との間に入って、争いを調停する外交官の青澄誠司が主人公として登場する。対立を解消するために、海上民の一族を率いるツキソメという年齢不詳の美女を相手に、交渉に臨み、理解を深めて人類の未来を切りひらこうとするストーリーが軸になって進んでいく。

 その過程で、権益の維持に必至になる都市があり、武力をふるってじゃまな海上民を排除しようとする都市も現れて、海対陸という対立の構図が強く見えてくる。人間をアシストする人工知性の献身的な働きぶりや、国家の中で地位を高めることで、国家がふるおうとする暴力を和らげようと力を尽くす兄弟のエピソードが混ざって、25世紀という時代、海面上昇が進んだ世界の政治や、外交や、科学の像が浮かび上がってくる。

 未来が舞台の国際謀略SFであり、機械と人間の関係に迫る人工知性SFであり、現代とはまるで違ってしまった海を舞台にした海洋冒険SF。<魚舟>という存在が持つ人類の進化と適応のひとつの形を示し、そこから派生した<獣舟>と呼ばれる異形の存在が放つ恐怖を描いて見せるところは、一種の遺伝子工学SFでもある。

 そうしたアイデアを繰り出しながら、物語は、国家や社会といった組織とも、家族や仲間といったコミュニティとも違う、人類という種全体につきつけられた、終末という課題をどう克服するのかを問い、選択を迫る。

 人種なり家族といった、旧来からの枠組みを守って死に絶えるべきか。人類という種そのものを、どうやって生き延びさせようかと考え、それがかなわないなら、存在した証を、どうやったら残せるのかを探してあがくべきか。人種や宗教の違いが争いを呼び続ける現代に、ひとつの未来を示す物語だ。

 スペクタクルの設定も、海に覆われた世界のビジョンも、異形の生物のビジュアルも、それらが現れた背景も、どれも新しくて創造的。けれども、そうしたひとつひとつの描写を貫いて流れる思想の壮大さ、ひとつひとつの描写が関係しあって示される人類の運命の神々しさに、読み終えた人は誰もが感じ入るだろう。

 小松左京が「日本沈没」を書いた真意には、故郷を失って、世界に散っていった日本人たちの暮らしを通して、日本および日本人というもののアイデンティティを問い直そうとしたことがあったという。「華竜の宮」で上田早夕里は、日本人という枠組みすら飛び越えて、人類そのものの存在意義を改めて問い直した。

 その筆の勢い、想像力の爆発ぶりは、小松左京の名を冠した賞を受賞しデビューした上田早夕里が、見出してくれた偉大なる先達に贈る、最大で最上の返礼なのかもしれない。


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