軽井沢シンドロームSPROUT

 知識を詰め込むだけの学校も、要領のよさだけが磨かれる会社勤めも放り出し、ひとりアメリカの西海岸へと渡ってフリーのカメラマンとして成功する、という将来がまだ遠い憧れとして感じられた時代。そんな憧れに向かって1歩づつ、近づこうとしている男の姿が描かれていた漫画があって魅せられた。

 形こそ違え、若い身での純粋でそれ故に想いに忠実な憧れを、物語の中とはいえ男が具現化してくれるだろう日を、夢見させてくれた漫画はけれども、親戚とか、女性とか、仲間とか敵とかいった人たちとの柵に雁字搦めにされていく男の姿を描くものへと変わってしまい、夢を抱かせるほどにスタイリッシュだった絵柄もありふれたコメディ風のものとなって、やがて時代の波間へと沈んでいってしまった。

 同じ時間は、心を染め上げていた憧れを現実のものにすることはなく、また現実にしようとする気持ちにすら変えることなく憧れのままで今へと至らしめ、上には日に日にあきらめの色が塗り重ねられている。それでもいささかなりとも残っている憧れを、このまま埋もれさせるべきか、完全に塗りつぶして別の道に新たな憧れを見いだすべきなのか、迷っている気持ちを、20年ぶりに見えた男の言葉が激しく揺り動かし、戸惑わせる。

 たがみよしひさが「軽井沢シンドローム」から20年の後を描いた「軽井沢シンドロームSPROUT」(秋田書店、514円)第1巻の68ページ、かつてカリフォルニアを夢見た相沢耕平は、冬の軽井沢で愛車だったジープに手を触れこうつぶやく。「この好天に動かないMBを洗う人生とは…」「おれも思わなかったな…………」。

 少年の頃からやっかいになっていた松沼家の長女、薫と結婚して子供の薫平もでき、日本でカメラマンとしてそれなにに名も成した耕平も、40歳を越えて心身ともに落ち着いたかのように見える耕平の代わりに、高校生となった薫平は女と付き合い、東京に出ていっしょの大学に通うだろう日を漠然と想いながら、高校3年生のクライマックスを迎えようとしていた。

 好漢で、喧嘩には強く情にもあふれた薫平に憧れる女性は多く、突き合っている葛西綾愛という女性がいるにも関わらず、下級生の吉田芙美恵とも関係を持ってしまい、薫平と綾愛との間はぎくしゃくとする。そして迎えた大学入試目前の夜。芙美恵と会った帰りに凍った路面でバイクをすべらせトラックにぶつかった薫平は、大けがを負って試験をふいにし、合格して東京に出た綾目との関係をこじらせたまま、軽井沢に残って浪人生活をスタートさせる。

 気まずさでもあったのか薫平は家を出て、「軽井沢シンドローム」で耕平とは半ばパートナーだったイラストレーターの松沼純生と、津野田絵里の家族が暮らす家へと転がり込み、自動車教習所へと通ったり、芙美恵と会ったりしながら過ごしている。そんなある日、見かけたドゥカティ乗りの女性に心惹かれてしまったことから、耕平を中心にした軽井沢と東京と松本を舞台にした、彼らの世代の人間模様と恋の模様が描かれ始める。

 将来への憧れを持ち、その憧れを女のためにふいにすることも厭わず、命すらかけて体と心をぶつけあった耕平たち「軽井沢シンドローム」の人間模様に比べると、彼女と一緒の大学に行こうというくらいしか希望がなく、それすらもかなえられなくても激しい衝撃ではない薫平たち「軽井沢シンドロームSPROUT」の人間模様の、軽くて乾いた感じに、違和感を覚える「軽井沢シンドローム」の読者は多いだろう。熱さのなさ、夢の希薄さに、何を感じれば良いのか戸惑う「軽シン」ファンも少なくないだろう。

 そんな迷い惑う気持ちに追い打ちをかけたのが、先に挙げた耕平のつぶやきだ。夢を埋もれさせたまま生き伸びた結果が熱さも激しさもない日々。大きな夢を先に抱かないまま恋だの進学だのといったささいな挫折に悩み逃げ出す子供たちの暮らしを、漫然とながめるだけの虚ろな日々。カリフォルニアで疾走していたはずのジープはもはや動かず、息子によって蹴飛ばされるガラクタと化している。

 カメラを持てずファインダーをのぞけない病に冒され、未だ舞い込む依頼にも海外へと飛べない事情が耕平にはあることはある。今の平穏無事な日々を後悔するほどいじけた精神の持ち主では耕平はないとも信じている。いるけれどもだからこそ、夢をいくらでも抱けるにも関わらず、抱こうとしないでとるにたらない悩みに惑う薫平たち「軽井沢シンドロームSPROUT」の人間模様に、耕平に代わって苛立ちを覚える。

 もしかするとそんな苛立ちを想起させるために、たがみよしひさは耕平に動かないジープを洗う日々を与えたのかもしれない。薫平にそれさえもおそらくは平穏な日々をおくらせたのかもしれない。見ればかつて耕平に憧れを載せた「軽シン」のファンは奮起するより他にない。耕平に代わってカリフォルニアへと行き、動かない薫平に夢が現実へと変わる素晴らしさを見せつけるより他にない。あの憧れから20年。再び見えた耕平が再びの未来を魅せてくれた。

 熱く激しかったかつてを知る世代と違って、これをオリジナルとして読む「軽井沢シンドロームSPROUT」の世代の少年たち、少女たちが「SPROUT」の人間模様と、それに苛立つ耕平の心模様に何を思うのかは分からない。憧れなんて抱きようのない未来に息苦しさを覚えながらも、今を精一杯に生きようとする少年たち、少年たちのあがきに共感を覚えるのかもしれない。

 それもひとつの読み方だろう。そう読むしかない社会であることは紛れもない事実なのだから。それでも思って欲しいのは、好天に動かないジープを洗うしかない耕平の心情と、そこに込めただろうたがみよしひさのメッセージだ。今はまだ平穏無事な日々が続く、世代を新しくして繰り広げられている新しい人間模様の絵柄の向こうに、未来を思い描きそこに向かって進むことの大切さが浮かび上がって来るだろう展開に、期待しつつ旧い世代として再びの一歩を前へと踏み出そう。


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