昨日は彼女もしてた  明日も彼女はをする

 変えられるものなら、変えてみたい過去を、誰だって持っている。

 あの時、あの瞬間に放った言葉が、とった行動が違っていたら、こんな今にはならなかったのではないか。そんな、今に引きずっている後悔を、過去を変えることで埋めたいと願う気持ちを、誰だってひとつやふたつは抱いている。でも。

 だからといって、時間を遡って過去を変えて、本当に望む今を得られるものなのか。

 常に流れる時間の中で、人はその時々に選択をし続けて、生きている。そうやって重ねられた、おびただしい選択の結果としての今がある。

 もし、そんな今とは違う、望んでいた今を選び直すために人は、どれだけの数の選択を行う必要があるのか。無数にある選択のどこかひとつでも間違えれば、望む今にはたどり着かない。そういうものだ。

 それでもなお、望む今を得たいと思ってとった行動が、何をもたらすのかを見せてくれる小説が、入間人間の「昨日は彼女も恋してた」(メディアワークス文庫、550円)と「明日も彼女は恋をする」(メディアワークス文庫、550円)。上下刊となるこの2冊を続けて読んで、人は過去とどう対峙すべきかを考えさせられる。判断を迫られる。

 島に住み着いている、天才科学者を自称する男が作ったタイムマシンで、9年前に行った島民の男性と女性。まだ子供だった頃、ちょっとしたことがきっかけで、男性は女性とケンカしてしまい、それがめぐりめぐって、少女が車椅子に乗るようになってしまった。そんな運命を悔やんでいた男性は、せっかく来た過去だから、何か変えられないかと考える。

 仲違いのきっかけとなった、島を回る自転車レースでの出来事を避けられないか。そう考えて行動し、その過程で、現在では事故で死んでいた少年を、助けることもして家族に感謝され、その時代にもいた、自称天才科学者が修理したタイムマシンで現代へと戻ると、男性と女性のそれぞれの過去に、重大な変化が起きていた。

 映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」よろしく、デロリアンではないものの、自動車を改造したタイムマシンに乗せられ、送り込まれた過去を、どこか懐かしみながら行動する、男性と女性のほのぼのとした雰囲気が漂っていた「昨日は彼女も恋してた」。それが、下巻の「明日も彼女は恋をする」で一変。正しい歴史とは何なのか、それを背負わされた人間はどう決断すべきかといったテーマが、トリッキーな構成とともに迫ってくる。

 そうだと信じ切っていたキャラクターの関係性、そう見えていた光景が、上巻の終わりから下巻の冒頭にかけて、揺さぶられ惑わされ、そして、下巻途中に至って、思いっきりひっくり返されて「アッ!」と叫びたくなる。息を整え、下巻の終わりまで読み通してから、上巻に戻って整合性を確かめ、上下巻を通して見える光景から、人は過去と現在、そして未来のどれを選ぶべきかを強く問われる。

 デビュー作で、実写映画化もされた「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」(電撃文庫)でも見せてくれた、読む人を操り、導くようにして困惑の世界へと誘うテクニックが、より強く、驚くような形で発揮された物語。「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」にも増して、映像化が難しそうだが果たして、挑む映像クリエーターはいるか。興味をそそられる。

 もちろん、言葉だけで綴られるからこそ味わえる驚きを、無理に映像にすることはない。淡々と始まる物語を呼んで、常識の範囲の中で了解し、それが完全に否定される瞬間の呆然とした気持ちを、まずは味わってみよう。そこから、自分だったら誰を選ぶか、自分だったらどう動くかを考え、そして自らに問い直そう。

 変えられるのなら、変えてみたい過去を自分は、変えられるだろうか、と。


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