神殺しのリュシア

 永遠に生きられる身を嬉しく思うか、疎ましく思うかは、日本でも古来、八百比丘尼の逸話によって、周りの時間から切り離され、多くの死を看取る辛さを、永遠に味わう悲運を描いて人の世に、警鐘が投げかけられて来た。

 遠沢志希の「神殺しのリュシア」(F−Clan文庫、571円)に登場する、リュシアという名の不死の体を持った少女も、その身で長く生きれば、いずれは周囲との隔絶に悩み、断絶に苦しんだに違いない。幸いにして彼女には、その不死を終わらせる道が示さる。とはいえ、それが当人にとって本当に幸いなのか否かが、逆に浮かび上がって読む人に選択を迫る。

 18歳という割に、もっと幼いころに成長が止まったような体つきをしているリュシアは、不死という体質を買われて、傭兵の部隊に引き入れられては、バズという野卑な隊長による下卑た戦いの尖兵として、おもに斬り込み役をやらされていた。少年に見える姿に敵がひるめば、双剣の高い腕前を持ったリュシアに切り伏せられる。慌てて反撃に出ても、いくら手傷を負わせても死なないリュシアにやはり討ち取られる。

 戦いの究極が、その身を生きた楯として使われること。傭兵部隊のバズ隊長は、強い敵を相手にリュシアの体を前に出し、その身に剣を刺させて敵の武器を奪ってから、自分の剣をふるって打ち倒すことをする。いっときは気を失っても、しばらくすれば元に戻って動けるようになるから、バズ隊長の気は咎めない。否、刺されれば死ぬ普通の子供でも、近くにいれば楯として差し出すようなバズ隊長だったからこそ、死なないまでも死ぬような痛みに苦しむリュシアを、平気で尖兵として、楯として使って恥じなかった。

 そんな傭兵の部隊をリュシアは、けれども逃げ出すことはなかった。死なない体質がユド神国を治める竜教会に知られれば、異端として処分されかねないという恐れがリュシアにはあって、怪我をして身動きができなくなったときに収容された病院でも、巡回してきた教会の神官の目にとまらないまま、逃げだそうと算段をめぐらせたほどだった。

 そのときは、便利な楯を探しに来たバズ隊長によって引き取られたものの、彼女を楯にした戦いでバズ隊長が遂に敗れ、後を継いだ部隊の仲間から、悲惨な境遇に同情されて、竜神殿の衛兵となれば、悲惨な戦いに身を置かなくて良いからと進められる。リュシアはそれを引き受け、新しい職場に赴いたものの、夜に薬草を採りに行こうとした神官の警備に付き従った際、狼に襲われ傷を負ったリュシアは、ユアンという名の若くて優秀な神官に不死の体質を知られてしまう。

 リュシアが傭兵として参加していた戦争は、リュシアが生まれ育ったユド神国で、守護者だった竜が死に、すぐに生まれ変わってくるはずだった次の竜が現れないまま、国が衰退し始めたことをきっかけに起こったものだった。竜がいないのは隣のクラウス国の不信心が招いたものだと決めつけ、これを糺そうとユド神国から戦いの火蓋が切って落とされた。

 けれども、クラウス国もなかなか強く、逆にユド神国は攻め立てられてジリ貧に。そうなると今度は、竜が復活すれば戦いも勝てるといった本末転倒も起こって、誰も戦争を回避しようとする方向に向かわないまま、泥沼化からやがて訪れる滅びへの道を、まっしぐらに進んでいた。

 そんな戦いの中でリュシアは、自分が不死になってしまった理由と、竜が復活しない理由との交点に立たされ、己が運命を犠牲にして、世界を救う覚悟を迫られる。受け入れようとするリュシア。けれども、それで本当に世界は救われるのか。少女を犠牲にして救われる世界にいったいどんな意味があるのか。過去にしでかした事態も思い返され、リュシアの“処分”を任されたユアンは迷う。

 リュシアの方も、親友の自分を強く思ってくれている心に触れて、本当は生きていたいと叫ぶ。そんあ2人の世界への慈しみが、結果として世界を救う。鮮やかなクライマックス。感動のエピローグ。人を信じて生きること、命を尊んで生きることの大切が浮かび上がってくる物語だ。

 れにしても、7年前に止まってしまっていたリュシアの成長が、一気に進んでしまった果てに現れた歳相応のボディを、果たしてユアンはどう思ったのか。不死でも前の方が良かったか。それとも限りある命を持った今か。迷わされる、世界の命運よりもずっと強く、そして激しく。


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