超粒子実験都市のフラウ Code−1#百万の結晶

 クライマックスで飛び出す「お前が見ようとしない世界、俺が代わりに見せてやるよぉっ!」というセリフ。それが巻を重ねて敵を圧倒する際の決まり文句となっていった暁には、「お前」の「お」と「世界」の「せ」と「代わり」の「か」をとって、「おせか」と略されるようになるんだろうかと、そんなことを思ったり、思わなかったり。

 つまりは土屋つかさの「超粒子実験都市のフラウ Code‐1#百万の結晶少女」(角川スニーカー文庫、600円)は、「そげぶ」が決まり文句となっているとある魔術な作品の影を、幾らか感じさせてしまうところがあって、妹物が流行れば妹物がわんさか生まれ、学校でのいじめの問題が話題になればそうしたテーマの作品があちらこちから出てくるような、エンターテインメント界隈の倣いに乗ったものかと、読む人に思わせてしまう。

 科学の研究が盛んな学園都市、ではなく最先端の科学テクノロジーをふんだんに利用できて、世界中から注目を集めている先進都市を舞台にして、そこでレベル5ならぬ高い超常的な能力を発揮して、実験都市内でそれなりな地位を与えられている少女がいて、彼女が幼なじみとして関心を寄せてはいるものの、能力的にはあまり高くないと見なされている少年がいて、そんな彼のところに10万8000冊を丸暗記はしていないけれど、最先端のテクノロジーによって作り出された一種のアンドロイドに似た少女が転がり込んできて起こる大騒動。そんな構図からして、ひとつの既視感を抱かせてしまう。

 けれもど、面白いという設定は常に過去から現在を経て未来へと受け継がれていくもので、そうした構図の上にいったい何を描くかといったところで差異は出せるし、まったく違った面白さも描き出せる。その意味で言うなら「超粒子実験都市のフラウ Code−1#百万の結晶少女」には、人間ではない少女と、人間の少年との間に愛は成立するのかという命題が投げかけられては、その解答をこれから探っていくことになりそうで、類例や既視感とは違った興味を持って、続く展開を見ていける。

 ほかにも、風に舞うように飛んでいた、フラウという少女がどうしてそんな奇態な行動をとっていたのかという部分が、どういう事情なんだと好奇心を引きつける。実はこの実験都市は【グロア】という特殊な素粒子によって満たされ、それを活用するこによってエネルギー源を得たり、立体映像を映し出したりといった様々なことが可能になっている特別な都市だったりする。また、グロア粒子に干渉可能な能力を生まれながらに持った子どもたちも現れて、そうした異能の持ち主たちが研究機関に協力したり、援助を得たりしながら暮らしている。

 フランもそんな異能の持ち主だったかというと、これがまるで違っていた。どうやら人工的に生み出された存在らしい。そして悪名高い研究機関の「ビショップ」というところに追われていたらしい。そんなフラウはとてつもない力を秘めていて、それが空を舞ったり信号機を自在に操ったりできることと繋がっているらしい。主人公の隼人という少年はそんなフラウと出会い、助けそのまま逃げては研究機関の中で繰り広げられていたひとつの実験の意味を知り、そしてフラウが外に出る危険性にも気づき、それでもなお意識を持った人間に等しいフラウといっしょにいたいと願い、戦いに身を投じる。

 結果浮かび上がってくる、何に対しても物であっても感情移入が可能な人間が、ロボットに愛を抱くことはフェティシズム的にあり得るとしても、感情を持たなず計算の上で発言しているだろうロボットに、愛という感情が芽ばえるかどうか、という問題についてどういう応えが出されるのかに興味が及ぶ。ほかにも、実験都市に満ちあふれているグロア粒子で構成されているフラウという名の少女の構造とか、アイドルでありながら科学者でもあるチハチナと呼ばれる双子の女の子たちの活躍とか、楽しみな材料がこれでもかと繰り出される。

 何より無能に見えて実は他の誰にもなかったとてつもない異能を持っていた、隼人の正体にも。今は家にいない彼の両親が何かをやっていて、そして何かを企んでいるような雰囲気も漂う中で、主に女性関係の面で複雑さを増していく隼人と周囲との人間関係がどうなり、そこから隼人がフラウとの関係をどう作り、あおりをくらって幼なじみの海妃かなめがどれくらいぞんざいな扱いを受けるのか、それをかなめがどう乗り越えようと頑張るのか等々、興味を抱かされる部分はほかにも多い。

 そうした部分を拾い集め、描き込んでいくことによって先達たちとは違った展開、違った空気、違った面白さを持つ作品になってくれることだろう。だから読んでいこう、最後まで、既視感も先入観も乗り越えて。


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