JAPON
JAPAN×FRANCE MANGA COLLECTION

 日本とは? そんなテーマを与えられて漫画家が描くものは何んだのだろうと知りたかったら、フレデリック・ボワレと天野昌直が企画・編集したアンソロジー「JAPON」(飛鳥新社、1300円)を開いてみると良い。日仏から集った漫画家たちが、それぞれの「日本=JAPON」をそこに描いていて、何をもって「日本=JAPON」と感じているかが分かるから。

 「東京は僕の庭」(飛鳥新書)を上梓して、現在の東京を外国人の眼ながらストーレートに脚色なしにとらえ、評判を読んだフレデリック・ボワレが呼びかけ、日仏の漫画家に描きおろしてもらった作品ばかり。日本から安野モヨコがいて谷口ジローがいて、松本大洋がいて五十嵐大介がいて花輪和一がいる。重鎮ベテラン先端を取り混ぜ読み応えは十分だ。

 そんな日本人作家の描く「日本」を大まかに捉えると、郷愁に浸り過去を振り返り伝統を尊んでいる雰囲気がある。安野モヨコは江戸時代に鈴虫の声を聞く芸者や町娘たちを描き、谷口ジローは故郷の海辺の町で繰り広げられる幼なじみとの別離を描き、花輪和一は山々を描き道祖神を描く。

 松本大洋も普段描く荒々しくて激しい漫画とは違って、「勘吉」というタイトルで漁師の家に生まれ絵ばかりを描いている男が主人公となった、江戸時代が舞台の作品を寄せている。絵本のような絵巻物のような描線で、ストーリーは杉浦日向子が「百物語」に描いたような奇譚。これも郷愁の現れであり伝統への回帰、なのだろうか。

 対してフランス人は今の日本がお気に入りな様子。ニコラ・ド・クレシーは街中に蔓延るキャラクターを取り上げ、新しい神々と捉えて描き、ファブリス・ノーは都会的なスタイリッシュさと、昭和の雰囲気残る家並みがごちゃごちゃになって、雑然としている街の雰囲気を描き、フレデリック・ボワレは電線が張り巡らされたアーケードの様子を描いている。

 もっとも今の日本を生きる日本人にとっては過去が憧れになり、彼方に生きるフランス人にとっては今の日本が興味の対象になるのも仕方がない。これがフランスについて描けという話だったら、フランス人はやはりりパリの革命を描き、田園の続く田舎の風景を描いて見せ、一方で日本人はファッションとアートに埋め尽くされた、華やかなパリのスタイリッシュな光景を好んで取り上げ描くだろう。

 普段はあまりお目にかかれない、フランスのマンガ事情を知ることが出来る点で貴重な1冊。エンキ・ビラルにメビウスといった芸術性の高い漫画で伝統のある国だ。いずれもしっかりとした描線によって表現されていて、選ぶテーマ性にも深いものがあってじっくりと読まされる。

 分けてもニコラ・ド・クレシーの「新しき神々」は、ペギラにサトちゃんにミッキーマウスにリラックマ、ミッフィーにアンパンマンに花くまゆうさくの漫画といったキャラクターを、八百万の神々に並ぶ存在と捉え描かれていて、日本人の本質を突きつつ日本人ととは違ったキャラクターの見方をしていて興味深い。

 訪ねたのが「愛・地球博」のさなかの名古屋だけあって街中には「モリゾーとキッコロ」が溢れていたようで、あのどこを見ているか分からない不気味な「モリゾー」の眼を評して、「目の表情が驚きだ。ある種の静けさをたたえ、でも力強く、なのにどこか物憂げなのだ」って書いている。本気なのかそてとも揶揄なのか。いずれにしても言い得て妙。実に本質を見抜いている。

 カンボジアと中国の両親の間にフランスで生まれ育ったオレリア・オリタの描いた「台風」も注目の1編。日本にやって来た女の子、が温泉で大きなお風呂に喜び台風にはしゃぎ、寿司でウニを食べておいしさに感激するエピソードが、木訥な描線によって描かれていて心に染みる。お風呂に入れてくれた祖母への思いにも溢れていて、洋の東西を問わず暖かい家族への思いに溢れていて、感涙も誘う。

 日本人の女性漫画家にあるような描線であり、また日常を描いたエッセイ漫画の文脈に近い点も興味のポイント。こういったものを描くのはフランスにエッセイ漫画の文脈が伝わっているからなのか、それとも日仏に関わらずこうした漫画の需要があるからなのか。調べてみたくなる。

 そおの漫画は、まるまっるとしていて、決してあでやかではないにも関わらず、妙にエロティックな女の子のボディラインが目に悩ましい。技巧的ではないものの、見せる巧さを感じさせる。「Angora」というタイトルの単行本が既にフランスで出ているらしく、原書でも良いからどんな作風なのかを確認したいと思わせる。新作「Fraise et Chocolat」も近いとのこと。これも注目だ。


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