妹戦記デバイシス

 妹の力で地球を侵略しようとする敵に、妹の力で立ち向かう。

 そんな設定の物語だと聞かされて、普通の人なら何を言っているのかさっぱり分からないと感じて当然。けれども読めば、「妹」という存在が持つ情愛を吸収して止まない力の強さ、守りたいと思わせる意識の激しさが物語から伝わってきて、確かに妹は世界を侵略する力にもなるし、人類を守る可能性にもつながるのだと思えてくる。

 本当か?

 本当なのだ。それは、日下一郎の「妹戦記デバイシス」(PHPスマッシュ文庫、619園)という物語を読めばよく分かる。異世界から現れ、地上に降り立った「アウタ・シス」と呼ばれる侵略者たちは、己を人類に「妹」と思わせ、そして可愛い「妹」を疑えず、ましてや相手にして戦うなんて絶対に出来ない人類の隙につけ込んで、世界の大半を一気に支配し「妹圏(シスゾーン)」にしてしまった。

 そんなばかな!

 ばかじゃない。そして人類は、自らを「妹」だと思わせ、奴隷のようにする「アウタ・シス」の洗脳をかいくぐって生き延びた人々の中に、強大な火力を備えた兵器を動かす力を持った少女たちを見出し、また彼女たちを最愛の「妹」と思うことで力を発揮し、兵器を動かす力を出せる男たちを集めては、ペアで戦場へと送り込むようになった。それが「妹戦機(デバイシス)」だ。

 そんなあほな!!

 あほでもない。「妹」という存在の恐ろしさと、「妹」という存在の偉大さに着目して描いた、かつてないSFストーリーがそこにある。物語では、日本を舞台に「アウタ・シス」が着々と人類を取り込み、花を咲かせてはそれを「妹」と思わせ見た人類を侵蝕し、さらに富士山ををも「妹」と認識させるように企んでは、それを見られる多くの地域にある人類を支配下に置こうとする。

 その狙いは? その目的は? ただの侵略かもしれないし、そうではない別の意図があるのかもしれないけれども、人類にとっては侵略され、蹂躙されてしまったことには変わりない。だから立ち向かう。あらゆる手を使って。例えばアメリカでは、デバイシスの力をより強烈に発揮するため、その原動力となる「妹」をより機能的にしてしまおうと企んだ。

 それはあまりにも合理的で、だからこそとてつもなく残酷で、けれども戦い勝利するためには必要不可欠な方法なのかもしれなくて…。普通に(普通でもないけれど)女子を「妹」と認識して、彼女を、彼女たちを守ろうとする意志を力に変えて戦う「日本妹軍」とは違ったアプローチが、戦いというものが持つ厳しさを浮かび上がらせる。その正否をどう判断するかで、人間としての生き様も強く問われる。

 デバイシスを駆る3人の「妹」と3人の「兄」のうちの、1人の「兄」を失う激戦を経て、最大の敵を相手にした戦いにいったんの決着はつくものの、人類の本格的な反攻はまだこれからといったところ。そんな決着へと至る道筋を、続編を重ねることで着けることになるのか、それともライトノベル的、あるいはサブカルチャー的に「童貞」なり「妹」には、何かとてつもないパワーが秘められているという“都市伝説”を逆手に取って、「妹」を力の源としてメタ的に取り込んでみせた技を披露し、圧倒してみせて目的を果たしたと考えるのか。

 こいずれにしても、観念としての「妹」を描きつつ、人間の弱さ、残酷さを示したSFストーリーとして、思考実験を楽しみたい読者の興味をそそる1冊であることに間違いはない。

 思考を広げるなら「アウタ・シス」は、何かに頼りすがりながら、生命を育んでいくことに特化した宇宙の生命体で、それが地球では「妹」という存在になって「兄」に頼られる存在となって、その生存力を発揮したのかもしれない。別の星では「弟」として、兄から姉からすべてを巻きこんで戦いを繰り広げていたのかもしれない。と、浮かぶそんな様々な可能性を、機会があれば物語読んでみたい気もしないでもない。


積ん読パラダイスへ戻る