風流江戸雀

 杉浦日向子さんを、いつのころから好きになったのだろうか。東京に来て、「小説新潮」を読み始めたころには、「百物語」を連載してた日向子さんのことは、既に知っていた。まだ名古屋にいた頃、日向子さんが荒俣宏さんと結婚し、すぐに離婚して話題になった時にも、「こんな美人を、もったいない」という気持ちを抱いたくらいだから、名前はもとより、顔までよく知っていた筈だ。

 思い返して見ると、名古屋にいるころに買っていた、角川書店の月刊少女コミック誌「ASUKA」に掲載された、「閑中忙あり」を読んでからのような気がする。筑摩書房から刊行されている「杉浦日向子全集」を、最初の「百日紅」から読んで来ても、自分が覚えていた日向子作品は、やはり「閑中忙あり」の後半2編だった。「ASUKA」にはその1年前に、「仙境」が掲載されていたのだけれど、「閑中忙あり」の方が、ユーモラスな展開や女性キャラクターの美しさで、強く印象に残っていた。

 「風流江戸雀」(筑摩書房、1980円)は全集の6冊目。後はいよいよ「百物語」(上、下)を残すだけとなった。「百物語」が、短いページ数で妖しくも悲しい江戸時代の雰囲気を表現する、さしづめ俳句か短歌か、と行った雰囲気なのに対して、「風流江戸雀」の表題作は、短いページ数でおかしくも切ない江戸庶民の生活を描いた、川柳のような雰囲気を持っている。川柳を2題、漫画の冒頭と末尾に据えて、そこに歌われた内容を、漫画で繋いで起承転結を付けるという力技には、ただただ感嘆するばかりだ。知識に裏打ちされた考証の確かさもさることながら、江戸時代の人情の機微に、憎らしいほど通じている。

 収録されたもう1つの作品は、江戸時代を飄々と生きる浪人者を描いた「とんでもねえ野郎」。主人公は、美人の若菜さんを娶りながら、剣術道場の稽古は若菜さんにまかせっきりで、賭場や女郎屋に出入りしたり、昔の仲間に酒をたかりながら暮らしている、本当に「とんでもねえ野郎」なのに、何故か憎めない。時には女郎屋から渡来物の皿をかすめとって金に変えたり、口のうまさとはったりの強さで酒代を稼ぐだけの甲斐性だけは持ち合わせていること、若菜さんがどこまでも明るく描かれていることが、作品にある種の壮快感を与えているのだと思う。

 確か日向子さんは、漫画から引退してしまって、今はエッセイくらいしか仕事をしていないと聞いている。全集を読み返してみて、簡単な線なのに、美人をこれほどまでに美人に描ける漫画家だったことを知り、日向子さんの断筆は、日本漫画界におけるおおいなる損失である、との意を抱いた。

 沈み行く日本漫画界のためにも、復活せよ、杉浦日向子!

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