Hoshi no Sabaku
星の砂漠 タルシャス・ナイト

 ”靖幸ライブ級”に無口な女子高生、木崎マナはきょうも遅刻でごはんが美味い、茶碗を片手に学校へむかって走っていたところに、現れたのは”謎の青年華の24歳”、ぶつかり転げるマナに向かって、手にもった携帯用炊飯器からご飯をよそい、”全然怪しい者じゃありません”と呼びかける。

 というのが折り込まれていたチラシに載っていた、「星の砂漠」の世界を分かりやすく解説するための漫画。果たして単行本の「星の砂漠」(船戸明里、友谷蒼原案、アスカコミックスDX、520円)がどうであったかというと、木崎マナはやっぱり無口で不愛想だったけど、謎の青年を(おいしいごはんを作るからきっと善い人だ・・・)なんて思うほど、剽軽な性格ではなかった。

 もとより「さて諸君をいかに惑わすかについて私が出した20日後の解答はこうだ!」と銘打たれたPR漫画、作者本人による一種のセルフパロディなのだが、心配なのはこのPR漫画を読んで、単行本の「星の砂漠」を手に取った人が、”話が違う!”と怒り出しはしないかということ。実際「星の砂漠」には、ギャグあるいはコメディーと呼べる要素はまったくなく、徹頭徹尾ストレートに、寂しさのなかでもがき続けた少年と少女の、出会いと別れの物語が描かれているからだ。

 女子高生の木崎マナが謎の青年と出会ったのは、登校中ではなく夜の海の突堤の先端。遠くを眺めていたマナに、後ろから「落ちたら死ぬよ」と声をかけたのが、硝子工芸品を扱う店でアルバイトをする青年、沢渡仁だった。「入学式当日に制服で溺死なんて凡庸じゃないか」と語りかける仁に、人見知りの激しいマナが「凡庸じゃないのは?」を言葉を返し、「星を数えて凍死」と答えた仁といっしょに、空を見上げて星座を見ていた。

 暗闇のなかで突然マナが「健司」とつぶやく。間をおかずマナの双子の弟で、同じ高校に通うことになった健司が自転車に乗って現れた。「凄いな」と不思議がる仁に「双子なんです」と返すマナ。どこか不思議な雰囲気を持った仁と、はやり不思議な力を共有しているマナとそして健司の兄弟の、これが出会いでありすべての始まりだった。

 運動も勉強もともに学年でトップクラスというマナと健司も、家に帰れば母親がいるだけの、硝子工芸家の父は家を出たまま戻って来ず、どこかギクシャクとした環境に暮らしていた。底抜けに明るい健司とは対照的に、マナは父親が残した硝子細工の玉を眺めては、出ていった父親のことを想っている。そんなある日、健司がこっそりと父親に会って帰った夜、母親の怒りがマナの手元に残された硝子細工にぶつけられ、玉はたった1つを残して、粉々に打ち砕かれてしまった。

 幼かったマナと健司が、海で溺れた時に2人つないだ手に握りしめられていたのが、この緑色の玉だった。たった1つ残された玉を大事に持って、学校へと通い始めたマナの前に、黒い服を着た不気味な男が現れて、マナたちの暮らしは一変する。仁に助けを求めて、いっしょに帰った家の中でマナは黒い服の男はマナに襲いかかられ、爆発する家の中に飛び込んだ健司も、金色の髪をした少年から大怪我を負わされる。

 しかし不思議なことに、健司の怪我は1日ですっかり良くなって、いっしょにいたマナと仁の前に姿を現す。不思議な力を目にした仁は、残された緑色の玉が「何十年かに一度、ひとつの命に恋をする鉱石」というタルシャスであることを明かし、鉱石から愛された者はターリヤと呼ばれて神と崇められること、そして仁の父親はかつてターリヤを盗み出そうとした、彼の母星に敵対する植民星の刺客と戦ってタルシャスを取り戻したものの、地球へと墜ち以来タルシャスは行方不明になっていたことを話した。

 次第にターリヤとしての力に目覚めていく健司、その健司を意のままにあやつろうとする仁の母星の神官たち、そして植民星からターリヤを狙って送り込まれた金色の少年、ジュオウのそれぞのれ想いが交錯しながら、物語は終局へと進んで行く。タルシャスを見つけ、ターリヤを殺し、銀色の少年、ジュイを甦らせるためだけに何百年もの時を待ち続けたジュオウの寂しい心に、自分を重ね合わせて惹かれていくマナの心理は、クラスになじめず友だちもおらず、家庭にも居場所がないと感じて、どこか別の場所に行ってしまいたいと想っている少女や少年たちの気持ちを、代弁しているような気がする。

 消えてしまったジュオウを想って泣き叫ぶ場面は、無口で無表情だったマナが初めて感情を露にしたシーンだろう。それはジュオウを失ってしまう悲しみと同時に、初めて見つけた自分の場所を失ってしまう恐怖だったのかもしれない。いずれにしても築き上げられた心の壁の向こう側には、ちゃんと生の感情が息づいていることを、ジュオウとマナの出会いと哀しい別れの場面が教えてくれる。

 それでも別れは辛すぎると、マナの気持ちを想って憤る人たちもご安心を。ラストシーン、咲き誇るひまわりの花といっしょに、ぱあっと表情をほころばせるマナの笑顔を目にしながら、誰もが明るい気持ちになれるだろうから。ここまで来れば、もはやギャグでもコメディーでもないと怒る人なんて、1人としているはずがない。もっと素晴らしい感動に出会えた喜びに、PR漫画で引き込まれた人も、表紙のうずくまるセーラー服に惹かれた人も、素直に感謝を送ることができるだろう。


積ん読パラダイスへ戻る