星の舞台からみてる
FROM THE STAGE IN THE STAR

 すごい必殺技がある。喰らえばほぼ即死。存命でも残るダメージは一生続く。

 その必殺技の名は「DoSパーンチッ!」。DoSとはディスクオペレーティングシステムではなく「Denial of Service=サービス不能」の略だという。

 そしてサービス不能パンチとは、「大量の同期パケットを送りつけて、その応答を無視することで相手の通信機能を停止させるパンチのことである。セキュアな通信路であっても、暗号通信関係を確立する状態変移の初期段階で無反応になってしまえば、タイムアウトまでの間は相手のリソースを削り取ることができる」ものだという。

 だからどういうものなのか? それのどこが必殺技なのか? 「『今からメッセージを送るよ」「おう、待つぜ」「なーんちゃって」で放置プレイをする。子供のの頃、気になっている女のことと遊ぶ約束をしたのに、無邪気にすっぽかされた経験はないだろうか。そういう待ちぼうけを、1000回同時にくらったようなものだ」。

 これは痛い。そして辛い。生命力の9割9分9毛まで削り取られた挙げ句に、部屋に引きこもって布団を頭から被って「おんなのここわいおんなのこおそろしい」とぶつぶつ唱えながら1カ月間震え続け、ようやく立って歩けるようになっても、一生涯女子にはアプローチできなくなるくらいのダメージを被る拒絶の必殺技だ。テラトン級の肘鉄だ。

 それなのに、「照れているのだろうか」としれっと言って、自分には一切合切の責任がないように感じていられる精神は、さすがに希代の奇人変人として一部に知られた野上正三郎が、半ば分身としてネットの中に残したエージェントらしい。いや、野上は実生活では極めて真面目で女性にも奥手で、心を引かれた大学の同窓生の女性にすら、なかなか告白できなかった。

 悶々としてのたうちまわった挙げ句、自ら開発した結婚告知サイトのデモンストレーションに、彼女の写真を自分の写真といっしょに載せて、大激怒される失態をやらかしたほど。それで現世では吹っ切れたのが、固い性格がやや円くはなったものの、女性に対していきなり「子供を作らないか」と言って、幾度も「DoSパーンチッ!」を喰らうほどではなかった。

 考えるならエージェントとは、使役する主人の表面上の性格だけではなく、理性なり尊厳といったものの陰に包み隠され、表には出てこない「こうありたい」という願望までもを写しとっては、現実ではまだまだ壁がありがちなコミュニケーションを、やすやすと成し遂げ他のエージェントに影響を与え、他のエージェントから影響をもらって、成長していくものなのかもしれない。

 だからこそ木本雅彦が「星の舞台からみてる」(ハヤカワ文庫SF、819円)に登場させたエージェントたちは、現実の世界を走り回って、野上正三郎が死後に残したネット上の痕跡を追いかける仕事に取り組む使役者たちの意図を、時に追い越すようにして、新たなコミュニケーションを育み、危機的な状況からの脱出を成し遂げ、次に続く道を開いたのかもしれない。

 野上正三郎。天才的なプログラマーとして、若くして幾つもの事業を立ち上げながら、経営には向かわず会社を売却して、本人は悠々自適の日々をおくっていた。しかし、悪くしていた心臓がついに止まってしまって死去。遺言によって、野上自身が立ち上げた会社が営む、死後にネット上の痕跡をすべて処理する業務が、その会社で契約社員として働く25歳の女性、荒井香南に託された。

 伝説の創業メンバーという重鎮の案件が、どうして一介の契約社員に廻ってきたのか? という疑問は浮かんだものの、それなりにそつなく仕事をこなして来たことが認められたからかもと思い直し、将来は正社員登用も願っていたこともあって、香南は親会社からやって辻河原という男といっしょに業務にとりかかろうとした時。死んだはずの野上からメッセージが届いた。

 「僕は生きているよ。まだまだすることがあるし、贖罪しなければならないこともある。僕を、探してごらん。それが君の仕事だよ」。

 そうして始まった追跡は、リアルワールドでは香南が辻河原だけでなく、生前の野上と知り合いだったらしいハッカー少年の広野天見も加えて、メッセージの発信元にされていた、野上が通い卒業して来たた小学校に中学校、高校大学とさらに経歴には残されていなかった就職先を訪ねて、人となりを聞き、やってきた仕事を知っていく旅へと向かう。

 その過程で繰り出されるさまざまなテクノロジー、LEDのサイネージを使ったデータ通信であったり、脳波で操作可能な義肢の開発だったり、宇宙とのタイムラグなき交信であったりと、今はまだ研究の段階にあっても、いずれ実用化されるだろうし実用化されて欲しいテクノロジーたちが、生活にどう関わってくるのかが示唆される。なおかつストーリーの上でも、そうした技術がパズルのように組み合わさって、事態の打開をもたらすのだが、それはもう少し後の話だ。

 一方で、香南や広野といった登場人物たちが使うエージェントたちも、ネットの上でさまざまな活躍をしつつ、対話をしつつ、思考もめぐらせる。思考? データを与えら、指令を与えられれば、処理して送り返すだけのプログラムに、果たして思考があるのか、といった部分は、本編の中で考察が行われるくらいに悩まし問題。出てくる答えも様々で正解にはなかなか至れない。

 それでも、あたかも思考し意思を持って行動しているかのように動くエージェントたちの活躍ぶりに、分身のような京大のような愛着が次第にわいてくる。その便利さ、その親密さが人間の依存を生んで、エージェントとのコミュニケーションが断絶してしまった際に、人間に混乱をもたらすかもしれないという考察は、ますますネット化が進む世界が、遠くない将来に受けるひとつの試練を示している。それを乗り越えるための道筋も。

 やがてたどり着いた野上の「贖罪」。それをめぐるスペクタクルの先に示される、野上の人生を追いかけていく物語の上で登場してきた、さまざなテクノロジーたちが活かされたひとつの解決法が、とてつもなく素晴らしいビジョンをもたらし感動を誘う。そうか、そう来たかという驚きと喜びを誘う。とあるアニメーションのファンなら涙なくして読むことはかなわないシーンだろう。

 なにゆえに野上が「贖罪」の元になった行為に手を染めたのかが、どうしても引きずる疑問で、例え本人の意志だったとしても、手を染めるにはあまりに凄まじい行為。浮かぶ感情も単なる「贖罪」で済みそうもない。ちょっとやそっとでは割り切れない。それくらいの行為だ。

 単なる好奇心でも、金や名誉といった対価でもない心理なり、真相がきっとあったのだろう。あるいは世界を見通す視線が、遙か彼方にまで届いていて、そうした行為を通してもたらされるだろう世界を願い、野上に「贖罪」を厭わせなかったのかもしれない。何しろ天下に知られた奇人。常人の思考で判断など出来はしない。

 結果、人類には次への一歩がもたらされる。それが起点となって紡がれるかもしれない壮大な宇宙年代記、人類の発展史への興味も浮かぶが、そうはならなくても地球に、人類に漂う閉そく感を打破して、未来へと向かう扉が与えられたかもしれないという希望が、読んだ後の心を洗って、目を開かせる。頑張らなければと思わされる。

 現実には、未だそういうことなはくても、いつかそうなるかもしれないという期待が、心を躍らせる。現実に目を転じても、立場に不満を覚えていた25歳の契約社員の香南は、自分という人間に自信を得、そして、コミュニケーションをしたい相手も得た。それだけでも状況を打破する力になる。

 死後にネット上に残される痕跡の扱いの難しさ。能力があっても契約社員は部品に過ぎない悲哀。エージェントが一般化した世界での、情報収集の形やコミュニケーションのあり方。人工知能の意思。散りばめられたひとつひとつが物語になりそうなくらいの重さがある。それを惜しげもなく配置し、なおかつひとつひとつに答えを出しながらひとつに束ねて描き出した、人類の未来を示唆して希望をもたらす物語。間違いのない傑作だ。

 「声で魅せてよベイビー」(ファミ通文庫)から「クロノレイヤーに僕らはいた」(トクマ・ノベルズEdge)を経て、これほどまでの作品を送り出した木本雅彦の、野上正三郎に比する才能に贈るに値するのは、心からの喝采しかない。決して「DoSパーンチッ!」などではない。


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