「今度は恋だ!!」と帯にあるけど、万城目学の「鴨川ホルモー」(産業編集センター、1200円)はもともと恋の話だったりした訳で、京都の大学に入った学生が、得体の知れないサークルに引っ張り込まれ、500年に渡り続くオニを使役し戦う「ホルモー」なる行事に巻き込まれる中で、同じサークルの子に恋をして振られて、そして最後に新たな恋を手に入れるストーリーに惹かれ、こんな良いことがあるのだったら自分も「ホルモー」をやってみたいと、京都の大学の受験案内を取り寄せひっくり返した高校生が、全国に何万人何十万人出たことか。

 だから続編でもあり番外編とも言える「ホルモー六景」(角川書店、1300円)に収録の短編を読んで、そうか恋かと驚いた人はまずいないだろうし、むしろやっぱり恋なんだと「ホルモー」への憧れを募らせ、青龍会を持つ京都大学か玄武組を持つ京都産業大学か、かつては朱雀団で今はフェニックスと名乗るチームを持つ龍谷大学か白虎隊を持つ立命館大学に入りたいけど、京大や立命館は偏差値が高すぎるしクリスチャンなんで龍谷大はまずいかも、ならば京産大か鶴瓶あのねのねのファンだったこともあるし、などと思案を繰り返しているに違いない。

 とにもかくにも恋だらけ。本編「鴨川ホルモー」ではラスボス的な存在感を終盤に放ちながらも中盤まではサブ扱いだった、眼鏡とおかっぱ頭から凡ちゃんとあだ名された見目麗しさではランク低位を残念ながらもひた走っていた楠木ふみだって恋をされる。アルバイト先のレストランで見せたテキパキぶりに惹かれた少年に誘われて、京都の町を自転車に二人乗りして名所旧跡をたずね歩く、あの名作「ローマの休日」にも似た時間を過ごす。オードリーと凡ちゃんでは大違いだがそこは恋。恋は目も心も眩まし惑わす。

 一方で凡ちゃんが本編「鴨川ホルモー」で意外にも発揮してみせた指揮の冴えが、決して偶然ではないことも明らかになって人間像への興味を広げてくれる。頭に突然ちょんまげを作って仲間たちを驚かせた京大青龍会の高村が、そのちょんまげ故に人と知り合い、そして恋をつかむ短編もあって「ホルモー」に敗れ心のどこかを操作される罰が、もしかしたら単なる罰ではないのかもと思わせる。

 その短編「長持ちの恋」は、貧乏ぶりが板について、自動車学校の勧誘に来たお姉さんから「これでおうどんでも、食べなさい」と350円を恵まれる珠実の造型がなかなかに愉快。すぐにめそめそと泣くドジな女の子で、アルバイト先でも要領悪く灯明を取って来いと回された蔵で、織田信長が持っていたと言われる古い長持ちを見つけて中にあった「なべ丸」と書かれた木札に、何故かマジックで「おたま」と名を書いてしまう。そして始まる不思議な事件。迫る悲劇に心も痛むけれど、やがて訪れた再会が、「ホルモー」への関心を更に高めて、京都行きへの気持ちを募らせる。

 もっとも、京都にわざわざ出向かずとも「ホルモー」に参加は可能なのかもしれないと、収録された「丸の内サミット」が告げていて、選択の幅を一気に広げられる。卒業して就職した東京で、それぞれ同僚に誘われ参加した飲み会で再会した、京産大玄武組と龍谷大朱雀団の第498代会長がお開きになった後で散歩する真夜中の丸の内・大手町。うごめく見慣れたオニの姿と、「ぐああいぅぎうえぇぇぇ」といった聞き覚えのある異様な叫びが、京都ならずとも「ホルモー」を戦い、そして恋とまではいかなくても男女の出会いを得られるのかもという期待感を醸し出す。

 問題は選ぶ進学先で、京都での例から四神相応として当てはめるなら、お茶の水女子大が東で一橋大学が西となっているからには、北は早稲田大学あるいは立教大学で、南は青山学院大学か慶応大学となっていそう。4校限定かというとこれも違って、「同志社大学黄竜陣」という短編に描かれている内容から、四方を守護する四神の中心には黄龍がいて、それをどうやら同志社大学が担っていた時期があったらしいことが伺える。ならば東京でも黄龍に相応する大学があってしかるべき。伝統の京大になぞらえ東大か、としたいところではあるものの文京区本郷では分が悪い。果たしてどこか。受験先選びには地図を見る目も必要だ。

 他にも京都産業大学の2人の有力女性メンバー、通称「二人静」が鴨川べりで繰り広げる味方同士の「ホルモー」が、何というか凄まじいというかもの悲しいというか。パートナーとして鉄壁の関係にあって、決して1人がもう1人を見捨てず記念日にはともに過ごそうと誓いを交わしておきながら、2人の女性の片方が恋をしたことで起こった戦いは、鴨川べりに等間隔で並ぶ夢を見て男性に恋をした方が、あの「ずるぅうぎぃ」「ぐぇげぼっ」といったオニを操る言葉を、好きになった男性の前で吐かなくてはいけなくなって男性に逃げられ、夢を断たれて悲しみに沈み、そして叫ぶ、「ホルモォォォォォォーッ」と。

 男性には見えない「ホルモー」だから、相手がそうめんがなしマシーンを船に仕立てて鴨川を渡って攻撃して来ても、無関係だと黙ってやりすごそうとしたところで、手持ちのオニを全滅させられたらやっぱり「ホルモォォォォォォーッ」が待っている。結果は同じ。こんな悲劇もあるから簡単に「ホルモー」で恋を掴もうなどと思わない方が良いのかもしれない。もっともありのままの自分をさらけ出した上で、固まった恋なら強度は最高。その点で、相手の本気を確かめる上で「ホルモー」なる存在に関わる意味はあるのかもしれない。

 夭折の文豪、梶井基次郎の絡む短編もあって、檸檬の甘酸っぱさを感じさせらたりもする「ホルモー六景」。500年続く中でおそらくはさらに多彩なエピソードを重ねて来ているのだと想像できるけれど、目下の大事はやはり恋。それも現代に生きる者たちの恋。過去の「ホルモー」にまつわるエピソードを見せつつ歴史を語る短編も書きながら、それ以上に「ホルモー」がくれる恋の喜びを歌いあげる短編も描いて欲しいと、作者には伏してお願い奉り候。


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