ひとつ海のパラスアテナ

 萌えはない。異能バトルもない。仮想世界のように死んでも生き返る訳ではないし、異世界に転生したら最強だったという幸運もない。ただの世界。当たり前の世界。飢えれば死ぬし殺されても死ぬ現実の、そして現代より過酷な世界を舞台にして、ライトノベルの読者の胸打つ物語を描けるのか? そんな疑問があったとしよう。

 答えは「ある」。第21回電撃小説大賞で大賞を獲得した鳩見すたの「ひとつ海のパラスアテナ」(電撃文庫、590円)を読めばそこに、胸打たれる感動のドラマがあり、胸躍らされる圧巻の冒険がある。読み終えれば誰もが抱くだろう。広大な海を相手に生きていく大変さと、それでも生き抜こうと頑張る大切さを。

 いわゆる温暖化というものが行き過ぎた結果か、あるいは別の理由があったのか。そのころの地球からは陸地が消えて、ただ青い海が広がっていてた。人々は瓦礫や流木といった漂流物が浮かんでは集まり、堆積して出来た浮島を陸地の代わりにして住み、船を駆って浮島の間を行き来して交易しながら暮らしていた。

 そんな交易を担っている、セイラーと呼ばれる船乗りの職に就けるのは男性ということになっていた。けれども14歳の少女アキは、成長していない身を男の子だと偽り、訳があって離ればなれになった父親から受け継いだ船を駆って、セイラーとして荷を運びながら生計を立てていた。

 その日も荷物を預かり、海に出たアキは「白い嵐」と呼ばれる一種の異常気象に巻き込まれてしまう。吹雪のような現象を逃れ、浮島に上陸して嵐を乗り切ったアキは、嵐が行き過ぎた時、浮島に繋いであったはずの大切な船が消えていることに気づく。

 命に優るとも劣らない船を失い、身動きがとれなくなった浮島の上でアキは過酷なサバイバル生活を余儀なくされる。相棒は船長と慕うオウムガエルのキーちゃん。言葉を話す能力を持ったそのカエルとともに、虫を探し魚を捕まえてどうにか飢えを凌いではいたものの、そこは秘められた異能が発動するでも、天から手が差し伸べられるでもない厳しい世界。飢えれば死ぬだけの現実がアキを襲ってひとつの離別を迎える。

 主人公にとって重要な相棒であり、裏表紙にも描かれるほどのサブキャラクターではなかったのか? そんな驚きは多分、ライトノベル的な暖かくも優しくそして予定調和的な世界に慣れ親しんでいたから浮かぶもの。現実はそんなに甘くはないし、より苛烈な環境になった地球なら、それも当然のことなのかもしれない。

 そんな世界だと存分に理解させたからこそ、この後に続く本当の物語は予定調和に陥ることなく、苛烈な展開に向かうのだろうと想像させて、ページを繰る手に緊張感をもたらす。そして実際の展開はシリアスに胸に迫り、繰り広げられるドラマとリアルに感涙を呼ぶ。

 苛烈な浮島でのサバイバル生活を、どうにか生き延びたアキは、流されて来た船にどうにか乗り移って、そこにたったひとりでいたタカという少女と知り合う。アキとは違って豊満な肉体を持つタカは、自分を誰か男性と添い寝することで金を得る仕事に就いている存在だと告げる。それはつまり……。

 そう言う職業か、海女になって魚を捕るしか女には生きられないという世界の苛烈さを、ここでもやんわり示しつつ、物語はアキとタカとの会話から、海だけが広がる世界が置かれた状況をかいま見え、医療すら不足する過酷な世界を知らしめつつ、そんな世界で少女たちが懸命に生きようとする様に引きつけられる。

 浮島にいた時とはは違った苛烈さを突き付けられ、それをどうやって乗り切るかという展開も描かれ、生きることの大変さを強く想起させられる。そんな先、騙され捕まり脅され逃げても、大切な友人だからと救いに行くようなアクションがあった果て、どうにか得られた平穏の向こう、待っているのは苛烈な世界で生き抜く“日常”という名の冒険だ。

 愛し愛される幸いも得てアキは成長したけれど、それで生き抜けるほど世界は甘くない。どうなる? どうする? 書かれているという続きがだから今は楽しみ。ただのセイラーであり14歳の少女に過ぎないアキが、どうあがいても変わることのない世界であっても、生きるということを諦めない強さを見せてくれそうだから。生きる大切さを教えてくれそうだから。

 最後にひとつ、そんな運命をアキに与えて未来へと続かせたキーちゃん船長に喝采を。その生き様に黙祷を。


積ん読パラダイスへ戻る