ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様

 「タッチ」「ラフ」のあだち充が2005年から「週刊少年サンデー」に連載していた「クロスゲーム」が2010年2月に終了した。死んでしまって今はもういない女の子との約束で、甲子園を目指して野球をしていた男の子が、夢をかなえる瞬間を女の子の妹とともに迎えてそこで、妹の男の子への思いと男の子の妹への思いがそっと重なるクライマックスに感じ入った人も多いだろう。

 けれども男の子が夢をかなえる一方で、妹はその実力をその時点で発揮できる場所で存分に振るうことなく終了を迎えた。男子すら時には追い込む投手としての実力をもって女子野球の世界で大エースとなり、世界に挑み世界を倒してその実力を大勢に知ってもらうことにはならず、従ってそうしたカテゴリーが存在することを大勢の人に知らしめて、現実の女子野球の世界で頑張っている大勢の人たちの希望となることもなかった。

 妹が、死んでしまった姉の夢だった男の子が甲子園に行くという、そのことだけを考えてその場に居続け、自分の力を見せようとしないことに、大勢の女子野球の選手たちは何を思ったか。どうして私たちの夢を背負って世界に挑んでくれないのか。頑張れば世界に行けるんだということを見せてくれないのか。そこにガッカリしてしまう人がいても不思議はない。

 制度として女子が男子に混じって高校野球の公式戦には出られないということがあって、そうした理不尽さへのひとつの提言にはなった漫画かもしれない。けれども現実問題として、筋力体力等に差異があるのが必然の世界。同等の実力を発揮してしまう“超人”を出すにはやはり無理がある。差異は差異。ならば、それがどちらを上とすることなく、どちらもそれぞれに個性なのだと認め合い、高め合うような構図の中で、それぞれが最高を見せることの方がやはり意義深いような気がしてならない。

 あるいは、そうした期待を背負わされるキツさ、五輪のような場所で見も知らない人から国民の代表だからメダルをとって当たり前、真面目手ストイックであって当然といった無茶な要求をされる理不尽さにもみくちゃにされるのは正しい生き方ではない、思っている人の側にいて、その人を含んだチーム全体が力を上げて、目標に向かって突き進んでいく、その原動力になる方が生き方として正しいのだと感じさせる部分で、存在意義を果たしているといった解釈も成り立つ。

 それもそれで個人の生き方。真正面から批判は出来ない。出来ないけれどもやっぱりどこか釈然としない。勿体ない。

 願うなら、だから妹が男の子の夢であり、死んでしまった姉の夢がかなってからの次のステップで、持てる力を存分に発揮できる場所にいて、それを見せることによって大勢の希望を引っ張り、感動を誘うような物語を、これから先に機会を見つけて描いていってもらいたいのだが、おそらくはそうはならないだろう。

 急に制度が変わって、女子が男子に混じって高校野球が出来る世界にスルリと入って、妹が男の子といっしょに甲子園のマウンドに立つことがあれば、それもそれで愉快なのだが、やはり無理と考えるのが妥当。そちらは柏葉空十郎が描いた「ひとりぼっちの王様とサイドスローのお姫様」(メディアワークス文庫、670円))を読んで、そういう世界もあって面白いのだと感じつつ、「クロスゲーム」のその後を想像するのが良さそうだ。

 こちらは女子も男子と同様に、高校野球の公式戦に出られるようになったような世界が舞台。あやねえと呼ばれている綾音という名の少女は、小学校の頃に結構な球を投げてた野球少女だったが、転校で海外に行くことになり、いつもいっしょに投げていた川崎巧也と、これからも投げ続けようと約束して分かれる。

 巧也は中学で世界を相手に戦えるくらいの投手になって、綾音の期待を大きく上まわった存在に成長していった。これなら約束も果たしてくれると期待して帰国した綾音は、巧也と同じ高校に進んできっと入ってくるだろう野球部に行ったが、そこに巧也は来ていなかった。おかしいと思い暮らすまで出かけていって、野球部に引っ張っていこうとしたら、自分は野球は辞めた、医学部に行くと言ってなびいてこない。

 どうして? どうやら野球に絶望していたらしい。心を折られてしまっていたらしい。その彼をどうにかこうにか野球部へと引っ張り込むまでのドラマがあり、進学校故に弱小な野球部を少人数ながらもどうにか立て直して、強豪校と戦えるようにしていくまでの戦略的なドラマが、小説では繰り広げられていく。

 野球の試合中の描写は、樋口アサの「おおきく振りかぶって」に並ぶくらいに緻密。球は遅いが球種が多彩な綾音の特徴をうまく使って強豪校を手玉に取り、シチュエーションによって次にどんなプレーをするのかを読み合う戦略的な楽しさにあふれていて、ぐいぐいと引きつけられて読まされる。

 陸上の砲丸投げで期待された同級生が、先輩との諍いから陸上部に入らず野球部に入って大活躍、といったところはややリアルさが薄れるが、これはこれで面白さを誘う。突然の変身と、持っていた力の爆発には誰だって興味を引かれるものだ。

 気持ちが良いのは、綾音が入ってきたり、別のシニアリーグで活躍していたビシバシランこと石橋蘭という女子を、あのビシバシランだと騒ぎながらも野球部が普通に受け入れているところ。そこには架空とはいえ壁をあっさりと越えてしまった時の、分け隔てのない認識が示されている。「クロスゲーム」もそうなれば良かったが、そうではなかったからこその「クロスゲーム」とも言えるから難しい。

 ともあれ綾音と巧也の闘いは幕を上げたばかり。これからも続いていくのか、それともひとつの到達点を見たことで役目は終えたとなるのか。そんなあたりにも期待しつつ、作者が次に描く世界に目を向けていこう。男子も女子もいっしょになって繰り広げるサッカーは果たしてあり得るか。長身で全身がバネのようなバレーボール選手の女子がゴールキーパーとして大活躍、といったものならあえりえるか。


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