ヒトの時代は終わったけれど、それでもお腹は減りますか?

 「滅びの季節に《花》と《獣》は」(電撃文庫)で空想の異世界を組み上げ、人類の延長ではない種族を作り出しては存在をかけて戦う重厚な物語と、そして過去から繋がる因縁を持った奥深いストーリーを描き挙げた新八画(あたらし・やすみ)が、今度は少し軽めの物語をを出してきた。

 その本、「ヒトの時代は終わったけれど、それでもお腹は減りますか?」(電撃文庫、630円)は、ポストアポカリプスな世界における人類と生命の未来を描いたSFであると同時にグルメ小説であり、お料理小説でもあった。多能性無核細胞(PAC)なるバイオテクノロジーの成果によって人は死なずに済むようになって、打てばたちどころに傷だって治ってしまう効果でもって繁栄を謳歌する未来が見えた。

 ところが、PACは人類以外の生物にも広がって、死なない蚊とかが生まれたりして世界は大混乱に陥った。PACの影響から植物も茂るようになり、人類を含めた存亡をかけての戦いも繰り広げられた果て、生き残った一部の人類は廃墟となった世界で、合成食料や電子ドラッグが溢れかえり、荒くれ者たちが鎬を削るワイルドな状態の中を生きていた。

 そんな世界の日本は東京、アラカワあたりで伽藍堂なる料理店を営んでいるリコとウカという2人の女子がいた。ウカが調理師で、荒廃した世界から食材を仕入れてはとてつもなく美味な料理を作り出してお客さんを喜ばせている。リコは武闘派で、狩人として食材を狩りつつ店の用心棒めいたこともしている。

 そんな2人が繰り出す料理は、当世の情勢からいって当たり前のものではあり得ず、食材もどれも普通ではない。たとえば多脚砲塔めいた戦車があって、一種バイオテクノロジーの産物として生み出されたそれを、ウカは喜んで仕入れては殻を割って中の神経とかを取りだし、刺身にしたり焼いたりして食べる。カニか? 毒キノコも蔓延っていて、普通に食べれば体を壊すものをウカは茹でたりして毒を抜いてはペースト状にして美味しく食べられるように調理し、伽藍堂に来る客を楽しませている。

 実在しないモンスターにも似た食材を狩り、食らうという点では漫画として登場し、アニメにもなった島袋光年の「トリコ」と重なるゲテモノグルメフィクション。空を行く龍を狩って食らう者たちが登場する桑原太矩の「空挺ドラゴンズ」も思い出させる。一方で、近未来の激変した世界が舞台という点で、電撃文庫から出ている瘤久保慎司の「錆喰いビスコ」にも重なる。ただし、錆に覆われ死滅へと向かっているそちらと違って、こちらは工夫次第で食べて生きていける。そこに明るさが見える。

 現実世界からの近未来が舞台になっているだけあって、進化したテクノロジーについてのビジョンも見せてくれる。培養槽で生み出された脳が機械仕掛けの体に接続され、人間としての肉体を知らないまま登場したルアンという少年。ネットに接続してあらゆる情報を取り込んでは、未来予測をしているカンナという少女。何よりウカという少女自体がある種特別な存在で、だからこそ混乱する世界で的確に食材を見つけ、調理して美味しくして供せる。そこにSFとしての想像力が見てとれる。

 そうしたテクノロジーもまた、食によって混乱を来すといったところに、食べ物がテーマになった作品としての筋が見える。膨大なネットワークから情報を得ていた少女が突然に気を失ってしまった一件では、ある種のスパイスが関わっていることを突き止めて対処する。ウカが何かを口にして眠り続けてしまった一件では、彼女がどういった存在かが明らかにされる。よくも存在し続けられたものだし、なおかつ調理師を続けていられるものだと驚かされる。

 対立する2つのグループの一方を率いるヤシギという女性リーダーにも、テクノロジーによってもたらされた存在の秘密がある。そういう意味ではテクノロジーの進化なり、暴走なりがもたらすスリリングなビジョンも見られる物語。それでいて、アラカワでヤマタノオロチと名付けられたモンスターを総出で駆り立ててはやっぱり美味しく調理して皆で食べるホンワカとした展開が待っている。その正体は? そして味は? 想像するほどによだれが垂れる。

 SFならではの設定の上で、変化して進化した食材を活用して美味しい料理に仕立てあげるといった設定は、鋼大による「SF飯」シリーズとも重なる。そちらは宇宙でこちらは地球。食材も調理法も違うけれど、どんなものでも工夫によって美味しくなるのだと諭される。本当に? そういう時代が来ればきっと分かるだろう。


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