とある飛空士への誓約

 太平洋戦争の最中、日本の海軍に「空の戦艦」と呼ばれた二式飛行艇、あるいは二式大艇という飛行機が存在した。飛行場から離着陸するだけでなく、海のような場所からも飛び立てて、着水も可能な飛行艇と呼ばれる飛行機だったけれど、それが実際に飛び立ち、降り戻る場面を見る機会は現代ではまずないし、飛んでいる姿を目撃することもほとんどない。

 ましてや、どれだけの人間が1機の飛行艇の操縦に携わり、偵察や爆撃などの運用に関わっていたのかを、知ろうとしてもなかなか難しいところを、小説の力はやはり凄いというべきか。犬村小六が書いた「とある飛空士への誓約1」(小学館ガガガ文庫、629円)という小説の中に、二式大艇らしき飛空艇が登場して、どうやって飛ぶのか、どうやって戦うのかがなかなかリアルに描写されている。

 もちろん、小説に登場するのは飛空艇で二式大艇ではないけれど、巻末にずらりと並んだ参考文献から、その飛空艇が二式大艇をモデルにしたものだろうと想像できる。そして物語では、7人の若者たちが乗り組んだ飛行艇ならぬ飛空艇を舞台に、乗員たちの複雑な人間関係というドラマ、敵地を抜けて味方のいる場所へと夜間に飛ぶというサスペンスを通して、飛空艇の能力の高さ、扱いの難しさ、空戦時の大変さを見せ、翻ってモデルとなった二式大艇が、戦時に直面していた諸々を想像させてくれる。

 たったひとりのエースパイロットが操って、空中を時に華麗に、時に激しく飛び回っては敵機を撃ち落とし、星を重ねていく戦闘機とは違って、飛空艇はひとりで操れるものではなく、ひとりで守れるものでもない。操縦するにも複数のパイロットの協力が必要だし、長い距離を飛ぶため向かうべき方位を定め、今いる位置を把握する人材も必要。ほかにも、迫る戦闘機を相手に機銃を撃つ銃手たちもいて初めて、長い距離を飛んで偵察や爆撃、雷撃などの任務をこなし、帰還することが可能になる。

 誰かが飛び抜けていてもまとまらないし、ひとりが劣っていても耐えられない、チームワークの結晶。それが必要な飛空艇が舞台となった物語は、必然的に登場人物たちのこれまでと、ここからを描く物語になっていく。そんな登場人物たちでもメインとなるのが、秋津連邦にある河南士官学校から乗り込んだ坂上清顕という少年。父親が空戦のエースとして名の通った人物で、清顕は子どもの頃から父の弟子にあたるという人物に操縦を教わり、トウモロコシ畑の上を飛んでいた。

 軍を退き、農業を営んでいた父親と母親、そして姉をハイデラバード共同体が雇うウラノスという空の民、あるいは空賊の空襲によって失った清顕は、孤児となりながらも栄達を得ようと飛空士を目指し、河南士官学校に入って優秀な成績を収め、秋津連邦が対ハイデラバード共同体の思惑もあって、友好関係を結んだセントヴォルト帝国との親善を意味する隊列に加わり、セントヴォルト帝国へと向かいそこにあるエアハント士官学校に編入することになった。

 そんな清顕と同じ河南士官学校から、親善飛行に参加することになったのが、ミオ・セイラという少女。清顕とは幼なじみの関係にあって、彼への情愛もあって飛空士になろうと一生懸命に学習し、晴れて清顕とともに代表に選ばれた。秋津からはもうひとり、年上で武道の達人で、おまけに清顕の姉にそっくりな顔立ちの紫かぐらも加わり、エアハント士官学校から選抜され、親善飛行の往路に同道してきた4人とともに、1機の飛空艇を駆ってセントヴォルト帝国を目指すことになった。

 エアハントの4人とは、通信を受け持つセシル・ハウアーという名の小柄な少女と、偵察を受け持つ軟派な性格のライナ・ベックという少年、優秀なのか機長の役を受け持つことになった、強いリーダーシップと冷静さを兼ねそなえたバルタザール・グリムという少年、そして、エアハント士官学校でもエースと名高いイリア・クライシュミットという少女。なかでもイリアは清顕の父親と対峙したエースパイロットの娘で、訳あって清顕には決して好ましくない感情を抱いていた。

 それは、清顕の父親が、卑怯な手をつかってイリアの父親を撃墜したのではないかという噂が原因で、その撃墜によってイリアの父親は腕を失い、空を飛べなくなってしまった。父の後を継ぎ、雪辱を果たしたいと願って飛空士になったイリアにとって、清顕はまさしく仇敵とも言える存在。親善飛行の任務では、同じ飛空艇に乗り込み、操縦を与る身として無駄な感情を廃し、つき合っていたものの、時として非難の言葉が出て、感情をぶつけ合うこともあった。

 もっとも清顕に言わせれば、すべては実力で倒したもので、卑怯な真似とはイリヤの側の誤解に過ぎなかった。すれ違う事実。行き違う感情。それが、親善飛行を狙ったかのように現れたウラノスの襲撃によって編隊が崩壊し、清顕たちが載る飛空艇だけが危機をしのいで不時着水した島での一夜を出来事を経て、微妙に変化していくところが、ひとつのドラマとなっている。清顕に好感を抱くミオには、焦りを生むような事態で、そんな三角関係がどうなるのかが、今後の見どころのひとつになっていくのだろう。

 そしてこの3人に留まらず、ウラノスで密かに養成されたスパイがひとり、メンバーの中に入り込んでいるように見えることと、そしてもうひとり、滅ぼされた国の王位継承者が身分を隠して乗り込んでいるらしいことも、清顕とイリアとミオの三角関係とはまた違った、人間関係を不安定にさせる要素となって、これからの展開への関心を誘う。誰がスパイで誰が王位継承者なのか。予想させる描写を混ぜ込みながらも、どこかミスリーディングを誘っているかのような展開に、本当の正体を当てる楽しみを味わえそうだ。

 そしてより重要なことは、10年以上経ってからの回想として書かれている物語が、既に史実として7人のうちに裏切り者が2人いると見なされ、英雄が5人いると見なされている状況を示していて、誰が誰なのかと想像させ、さらにそれが事実ではないと語らせていて、いったい何が起こったのか、そして世界がどうなったのかを想像させる。いずれ敵と味方に別れても、ずっと友人だという7人が交わした誓約が持つ意味が、大きく未来に関わってくるという言葉も同様に、これから起こる世界の激変への関心を煽って止まない。

 いくつもの謎に迫る展開がつづられ、そして全てが明らかになるだろう続きが楽しみになるのも仕方がないところ。それはそれとして、第1巻では敵機の幾重にも重なる襲撃をかわし、迎撃を行い、夜間の危険な着水をどうにか成し遂げた飛空艇の戦いぶりや挙動などから、モデルとなった二式大艇がどういった運用をされ、そしてどういった戦いぶりをしていたのか、どれだけの危険を乗り越えていたのかを、想像してみるのが良さそうだ。70年近い時間を超えて、その苦難とその歓喜を味わえるだろうから。


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