ひかりをすくう

 走り続けるなんてぜったいに無理。気を張りつめっぱなしでいるのはとっても大変。だけどこの日本で、この都会で仕事をしながら生きていこうとしたら、どうしても走り続けなきゃいけない、頑張り続けなきゃいけないって思い込んでしまう。

 気がつくと心はかたいしこりで覆われて、押しても引いても動かなくなってしまっている。押しても叩いてもきも弾まなくなってしまっている。それなのに走れと背中から声が押す。頑張れって前から手が伸びる。

 だめです。もう動けません。走りたくなんてありません。すーっと遠のく意識。目が覚めるとそこは暗い闇の底。何も聞こえず何も見えない場所で、耳を塞いで目を閉じてうずくまり、永遠の停滞に身を沈める。

 どうしよう。どうにもできない。どうにかしたい。どうにもならない。そんなジレンマに心を苛まれ、蝕まれたまま朽ちようとしている都会の人たちに、橋本紡の「ひかりをすくう」(光文社、1500円)という一筋の光が射し込む。描かれている物語が、立ち止まっていても良いんだ、しゃがみ込んでいても良いんだ、脇道にそれて寝転がっても良いんだよって教えてくれる。

 それなりに売れっ子になりかけていたグラフィックデザイナーの智子がある時、理由のない恐怖に襲われどうしようもできなくなってしまう。期待されていて才能もあって、けれどもそれに応えられるのかが分からない。できるかもって自信よりもできないかもしれないって不安ばかりが膨らんで、心をいっぱいに埋め尽くして身動きを取れなくしてしまう。

 パニック障害。どうしよう。どうしようもない。辞めちゃおう。それがいちばん良い選択肢。だけど柵もあり、収入への不安もあって普通の人ではなかなか実行できないその道を、智子はいっしょに暮らす哲ちゃんの支えもあって選び取る。

 智子をいたわり包み込んでくれる哲ちゃんの気持ちや行動に居場所を見つけ、2人で郊外へと引っ越し、そこで蓄えを崩しながら静かに暮らし始める。

 近所に住んでいる不登校の少女に英語を教えたり、少女が拾ってきた猫を育てたりとささやかな事件は起こるけど、だからといって平安な暮らしが大きく変わることはない。姉が訪ねてきて、父親の危篤を告げられても帰省して親族の好奇に身をさらすことはしない。姉も妹をそんな目に遭わせない。

 評価してくれていた女社長から、デザインの仕事を頼みたいと話が舞い込んで来ても、哲ちゃんの別れた妻から、哲ちゃんをを社会から遠ざけたままにしないでくれとわがままで乱暴な言葉を投げつけられても、智子は田舎の暮らしに留まったままでいる。

  家族の不幸に心を壊してしまい、階段の踊り場で毛布にくるまったまま夜を過ごす「毛布お化けと金曜日の階段」の姉。恋人が事故で死んだショックから、玄関の布団でしか眠れなくなった女性。ともに”死”という大きな出来事に心を苛まれ、身動きがとれなくなってしまった人たちへの、静かで優しい視線を橋本紡は送り続けて来た。

 「ひかりをすくう」はそうしたそうした”死”という大きな出来事ではなく、プレッシャーやストレスといった社会に暮らしている誰にだって起こり得る出来事でも、人間は身動きがとれなくなってしまうんだと語っている。だから誰の心にも切実な問題として響いてくる。

 自分は強いから関係ない。そう思っている人でもちょっとしたことがきっかけで心が折れる。強いと思っていただけに、折れた心をなかなか繋げないで迷っている。力はあるし才能もある。でも自信だけが消えてしまって、いくらでもある可能性を選び取れずにいる。それゆえに悩みも深くなり、絶望も高くなる。

 智子も同じ。もといた場所へと帰れる可能性を持っている。だからといって帰らなくちゃいけないいってことはない。「ひかりをつかむ」のどこにも、社会へ帰れなんて教え諭すようなニュアンスはない。それを選ぶのは智子だし、智子の日常に触れて何かを思った読者たちだ。

 脇道にそれたままで、しばらく草を眺めていたって良い。野原に立ち止まったまま、空をぼーっと眺めていたって構わない。前には進んでいなくたって、後ろに逃げているんじゃない。ただ今を、かけがえのない今をおおいに味わいながら、かたまった心を解きほぐそう。

 そんなささやきが全編に溢れて、風のように心を撫でてくれる物語。忙しすぎて働きすぎて、けれどもそれがいったい何なのか、誰のためのものなのかをつかめないまま迷ってしまい、かたまってしまった心をとかしてくれる物語。暗闇にうずくまって目をふさいだ人たちに、彼方から差し込む光となってて、ほのかだけど確かな暖かさを与えてくれるだろう。


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