シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱

 緋色とは、それほどまでに憂鬱なものなのか?

 そう疑問に抱くかどうかで、ある程度、読み手の立ち位置も分かってしまうくらいにあからさまで、あけっぴろげな要素を含んだ物語が、高殿円による「シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱」(早川書房、1300円)だ。コナン・ドイルによる不世出の名探偵を主人公に据えたシャーロック・ホームズ物のパスティーシュで、ヴィクトリア朝から現代のロンドンへと舞台を変え、男性のシャーロック・ホームズを女性のシャーリー・ホームズへと変えて新たな事件へと挑ませている。

 語り部となるのは、ジョン・ワトソンならぬこちらも女性のジョー・ワトソン。奨学金を得て医大を出て、軍医としてアフガニスタンへと派遣されてそこで怪我を負い、退役してロンドンへと戻った先でシャーリー・ホームズと出会う。その場所がまた振るっている。

 軍医という経歴が問題なのか、予備役ではなく退役したところに不思議があるのか、病院に職を求めようとしてもなかなか果たされないジョー・ワトソン。手持ちの金も少なくなって、高いホテルに滞在するのは無理と引き上げ、知人からルームシェアの話があると誘われながら、とりあえず寝る場所を求めて病院の死体置き場で横になる。

 戦場帰りで死体といっしょに寝るのは慣れているジョー・ワトソン。銃や手榴弾や爆弾を持って飛び込んでくる子供たちの姿を見続けた精神には、決して動くことのない死体の方が安心して寝られる存在という、その神経に太さが漂う。あるいは壊れかけの繊細さが。

 アフガニスタンでの未だ明かされていない苛烈な経験が、そんな神経を作ったかもしれないジョー・ワトソンは、隣に置いてある死体袋すら平気で開いて顔を覗こうとする。そして見た。とてつもない美女がそこに眠っている姿を。まだ若いのに可哀想。そう思いファスナーを閉めて横になったジョー・ワトソンの耳に、朝にって電話の着信音が聞こえてきた。

 見渡すと着信音が出ていたのは死体が眠っていたはずの袋からで、そして話し声まで聞こえたその袋のファスナーを、中からの要望に応じて引き下げると、死体だったはずの女性がぱっちり眼を開いて起きあがって、自分がシャーリー・ホームズだと名乗り、そしてジョー・ワトソンがずばり二日目だと言い当てた。

 何が二日目なのかは読めば分かるとして、その状況のみならず、ジョー・ワトソンがアフガン帰りの軍医だと見抜き、自分の住む場所にシェアする可能性もある人物だと言い当てたシャーリー・ホームズは、起きあがってダブルの金ボタンに白いパンツでブーツという乗馬服姿のまま死体置き場を出て行き、そのまま開催中だったロンドン五輪の乗馬競技に出場して金メダルを2つも獲得してみせる。

 いったい何者なんだ? そう考えつつ自分も住むことになるかもしれないベーカー街に行くと、そこにシャーリー・ホームズが帰ってきた。馬で。

 ぶっ飛び過ぎなキャラクターがとにかく魅力的。そんなシャーリー・ホームズは、自身の明晰な頭脳を駆使し、彼女のことを気にかけているのか、単に自分のストレスを妹に向けたいだけなのか、洋服やら何やらを買って送りつけてくる姉が持っているらしいとてつもない権力も借りて、ロンドンを賑わせる女性ばかり4人が立て続けに死んだ事件へと向かっていく。

 引きずり込まれる形となったジョー・ワトソン。結婚願望が強くて依存心もあって、軍医にはなったもののそれも彼氏を追ってのことで、その彼氏にフラれ現地の恋人からも捨てられたか何かしてと、散々な人生を歩んできた割にジョー・ワトソンは、人間が出来ているのかシャーリー・ホームズの突拍子もない言動を糺そうとする。けれどもシャーリー・ホームズの推理が、ジョー・ワトソンの想像を超える現実を見事に言い当てていく。

 そんな謎解きの展開がまた凄いというか、あり得ないと思いたいけれど、現実にあり得たりしそうなところが、ひたすらに突拍子のない展開で世間をアッと言わせようとする、いわゆる“バカミス”とは少し違うところ。リアルとコミカルとシリアスとバーチャルのギリギリの線を見事に歩んだ高殿円の筆の案配が見事というより他にない。

 なおかつ根底には、自分の思い通りにいかないことへの苦悩があり、そうした状況を生みだしてしまう経済的社会的政治的な情勢への啓発があって、読むと誰もが少し真面目に考えてみたくなるはずだ。どうしたらそういう状況を正せるのかと。

 自分の運命に投げやりになってしまう心理が、他人の運命にも投げやりになってしまうのかという可能性についても問いかけられる。当人の想像力でもあるけれど、それすらも超えた衝撃があり、あるいは誘導もあると誰もが一線を越えてしまうものなのかもしれない。そうして起こった事件たち。背後で企んだ存在が恐ろしいけれど、シャーリー・ホームズの力だけでは排除できない難しさもあって、これからの“対決”に影を落とす。

 ジョー・ワトソン自身にも秘密がありそうで、それがいつ爆発するのかといった興味も含みつつ、ペアとなったシャーリー・ホームズと綴る事件簿は、次にいったいどんな展開を見せるのか。シリーズ化されていくだろう今後から目が離せない。アニメーション化なり映画化も希望したいところだけれど、人によっては愕然とする「緋色の憂鬱」の部分をどう映像化すれば良いのか。やはり入れ方とかを描くのだろうか。入れるとは? つまりはそういうことなのだ。緋色の憂鬱。侮れない。


積ん読パラダイスへ戻る