ヒガンバナの女王

 騙された。それも嬉しい方向に騙された。

 岡仁志太郎の「ヒガンバナの女王」(小学館、714円)という漫画が書店の店頭に並んでいて、帯の煽りに「恋した彼女は“犯され屋”だった」という言葉が見えて、これは何だろう、もしかしたら昔あった「レイプマン」という漫画の逆を行く、犯されることによって人を癒していく情に溢れた話か、それとも援助交際を主題にしてドロドロとしてグチョグチョとした描写がある話なのかと、下卑た期待も浮かんでついつい買い求めてしまって読んだら何と。

 10万円で10分間、自分を自由にして良いよといって男を誘う、万別恵という名の女子高生をメインキャラクターに据えて、そんな彼女を見つめる橋本純平という名の同級生が経験する痛みや悩みや喜びを描いた青春ストーリーだった「ヒガンバナの女王」。万別は10万円客をラブホテルへと連れ込むものの、そこで完全に身を投げ出す訳ではない。自分も可能な限り抵抗すると言って相手に受け入れさせる。

 お下げ髪に黒縁眼鏡で見た目は細く、おまけに長身という風貌やスタイルからは、とても抵抗なんて出来そうもないように見える万別恵。そんな彼女がどうして体なんか売るのかと、心底から心配したのか内心に別の期待を抱いてか、純平はコンタクトに成功した彼女とともに「彼岸花」という名のラブホテルへと向かう。

 街にあるジムで総合格闘技を学んでいることもあって、決してひ弱なオタク少年ではない純平を相手に、万別が10分間を抵抗し切れる余地なんてない。誰もがそう考える。純平だってそう考えた。ところが……。あとは読んでのお楽しみ、といったところだけれど、そういう展開からストーリーは、万別をどこか憐れみ、見下すような視線を向けることで、自分の小ささを誤魔化していた純平が、自分の卑屈さを自覚し、奮いたって超えられなかったものへと挑むフィナーレへと向かって、読む人の心を強く揺さぶる。

 繰り広げられる描写の数々からは、スリリングでエキサイティングな体と体のぶつかり合う様というものを存分に堪能できる。極めた者だけがたどり着ける境地とかも感じられるけれど、ただ万別がそうした境地や境遇へと至った経緯や、そこまでする動機というものが今ひとつ、掴みづらいところがあって戸惑わされる。

 目指したいものがあるから、場所を借りてそこで挑んでいるのかもしれないけれど、だからといって決して陽の当たる場所へとは出ていこうとしない。「彼岸花」というラブホテルでだけ君臨する女王。だからこその「ヒガンバナの女王」というタイトルなのだけれど、そうあり続けなくてはいけない理由が万別にはあるのか。そこが知りたい。

 怨みか。恐怖か。万別自身も純平と同様に、自分の器を小さくみて、そこに収まっている限りは安全だと思っているのかもしれない。そして純平が、自分を踏み越えていくとする姿を見て、考えを改めたのかもしれない。だからこそ期待したくなる。1冊でまとまってしまっているこの漫画が人気となって、続編が描かれるような機会が訪れた際に、改めて前日譚のようなものが紡がれて、彼万別がそこで戦い続ける理由のようなものが描かれて欲しい。そこを出て新たな戦いに身を投じる姿も見てみたい。

 そうした部分への興味とは別に、自分に自信がなかなかもてず前向きになれず勇気も出せない純平が、そんな自分の気持ちのはけ口として、クラスメートでもどこか鈍くさいと思われている万別に対して、可愛そうという気持ちを抱きつつ、その実自分なら手の届くところにいるんじゃないか、なんて優越感やら下心やらを抱いている様が暴かれ、あからさまにされる様が、弱い方ばかり、下の方ばかり向きがちな身を鋭く刺す。

 起きろ。前を向け。上を見ろ。戦え。貫け。突き抜けろ。それでこそ得られる場所があり、得られる人がいるんだと知る漫画、ということなのかもしれない。読んでいろいろ感じよう。自分だったら万別を相手の10分間をどう挑むかとかも。せめて三角締めで落ちたいか。顔面にあたるそこはきっと、柔らかくて暖かいだろうから。


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