はちみつとバタフライ 〜職人工房シリーズ〜

 狂ってこそ職人、というのはやや大袈裟だけど、でもやっぱり、日常の常識にとらわれないで、自分の表現したことを突き詰めてこそ、職人のクリエーターとしての能力は最大限に発揮され、万人を魅了する物を作り上げることができる。

 そんな職人の資質は、一方で日常の生活に関わることになると、まったく発揮されないとうのもひとつの真理。常識にとらわれていないのだから、それも当たり前の話で、せっかく素晴らしい物を作り出しても、それを世の中に知って貰う過程で失敗したり、間違えたりして、日々の暮らしすらおぼつかない状況に追い込まれる。

 そんな職人に必要なのは、外には日常との折り合いを付けてくれ、内には非日常の発露に驚かず見守ってくれるパートナーの存在だ。画家のフィンセント・ヴァン・ゴッホが狂気にも似た感情の中で絵を描き続けても、生活できたのは彼を理解した弟テオドルスの存在があったから。テオがいなかったら、あの数々の傑作も世に広まらず、それより以前に描かれすらしなかったかもしれない。

 天才アニメーターとして名を欲しいままにした宮崎駿監督が、イマジネーションだけを炸裂させても世の中は付いてこれなかったところを、世の中にその面白さ、凄さを喧伝しつつ監督に向かっては、集めた資金を提供して、作りたいものを作ってもらっい、その価値を世界に通じるものにした、鈴木敏夫プロデューサーも、そんなパートナーシップのひとつの例といえるだろう。

 パートナーがあって職人が生きる。そんな職人がいてパートナーもやる気を存分に発揮する。持ちつ持たれつ、補い合って高め合う、職人とここではプロップ(職人補佐)と呼ぶパートナーたちの関係を描いた漫画が、幸村アルトの「はちみつとバタフライ 〜職人工房シリーズ〜」(白泉社、400円)。人形職人に香水職人に指輪職人。3人の職人たちと3人のプロップたちの物語から、プロフェッショナルの職人であることと、プロフェッショナルの職人を支える、プロップのプロフェッショナルであろうとすることの大切さが伝わってくる。

 まずは人形職人が登場する「トランクドール」。多くの人からかわいいと賞賛される人形を作っているのは、ニコラという15歳の少女。人見知りな上に自分が作った人形を強く愛していて、人に売る時になって少しばかりの抵抗をいつも見せ、店主やプロップのレオンハルトを困らせている。そんな性格を自覚しているニコラは、かつてプロップについた人たちから、どこか嫌われているのではと思いこんでもいて、今のプロップのレオンハルトとも、なかなかうち解けられずにいた。

 けれどもレオンハルトは違っていた。ニコラの才能を信じ、人形への深い思いを理解する一方で、ニコラの人形を愛してくれるお客さんの気持ちも受け入れて、その気持ちを感じてあげるようにとニコラを諭す。自分のために作っていたところがあったニコラ。それはプロフェッショナルではないけれど、買ってくれた人、プレゼントされて喜んでくれた人の笑顔を見ることで、誰かのために人形を作るプロフェッショナルの職人へと、大きく歩を進める。

 続いて香水職人の「はちみつとバタフライ」。地味な少女だったアルマは、シェリーという香水職人が経営する店に入って、ひとつの香水と巡り会ったことから、明るくなって社交的になって、やがてシェリーの店でプロップとして働くようになった。アルマはといえば、知り合うほどに職人としての奔放さが見えてきて、飲んだ紅茶が気に入ったからと、その葉をバケツに入れて水を注いでもらったものを、頭から被っては香りの謎に迫ろうとする破天荒ぶり。そんなアルマに呆れながらも、シェリーは一所懸命にプロップの役を果たそうとする。

 それでも止まらないシェリーの奇行に、自分はもしかして必要とされていないのではと悩み始めたアルマ。信じられなくなってシェリーの店を辞し、別の店で働き始めてアルマは気付く。シェリーがどれだけ自分を思っていてくれたかを。そして自分がシェリーをどれだけ必要としていたかを。天才で狂人の職人の突出ぶりに、凡人としてのプロップが、その身を卑下したくなることがあっても、それらはまるで違った分野で発揮される才。埋め合って補い合って生まれる関係のかけがえのなさが、物語からはちみつの香りとともに漂ってくる。

 そして指輪職人の「ビタースイート」。女性に対して口説く癖のある指輪職人のジルを、プロップとして補佐することになったリタ。それなりに頑張って、お客さんにぴったりの指輪をアドバイスできるくらいにはなっていて、ジルの昔の知り合いらしい女性が結婚指輪を求めに来たときも、ふっくらとした指にあう太めの指輪を勧めて、ジルから的確だと誉められる。

 だからといって、素直に喜べなかったのは、ジルが何か悩みを抱えているように感じたから。やっぱり信頼されていない? そして愛されてもいない? 悩んでいたリタは、やがて指輪を頼んできた女性が、かつてジルとつきあっていたことがあって、そんな彼女にジルは未熟な職人としての顔を見せ、落胆された苦い記憶を語って聞かせた。けれども今は違う。自分には経験がある。そしてリタもいる。出会いどもに成長していく職人とプロップの物語が綴られる。

 ほかに収録の「カフェ・コルベイユの恋」は、職人とプロップの物語ではないけれど、まだ駆け出しのピアノ弾きとして、カフェでお客さんの注文に応じてピアノを弾きながら、いつか名高いカフェ・コルベイユのカフェピアニストになりたいと夢みるエマという少女が、ひとりの青年と出会い、影響し合って自分を高めていくストーリーが描かれている。

 エマをひとりの職人と見て、すでにカフェ・コルベイユでギャルソンとして働きながら、父親が経営する楽譜を売る店で、臨時に店番に入っていたリュカをプロップに見立てることはできそう。彼の導きがエマの努力と才能を引き出し、プロフェッショナルとして羽ばたかせる展開に、職人気質の人は自分への理解者を求めたくなり、そうでない人は天才を支え、送り出す栄誉に浴したいと願うようになる。

 そんな物語を通して感じられるのは、何といっても出会うことの大切さと素晴らしさ。孤高であったら才は世に開かず、孤独であったら才を世に問えない。認め合って受け入れ合ってそして高め合う。そんな関係を世間も受け入れ支えて大きく広げていく。そうやって生まれる素晴らしい物が、万人を魅了して生まれる空気の優しさを想って、ページを繰ろう。


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