果てなき天のファタルシス

 慣れていく。昼夜を問わず戦いに明け暮れる苦しみにも、仲間たちが次々と死んでいく悲しみにも、人はいつの間にか慣れてしまう。

 慣れたくて慣れていく訳では決してない。どこにも逃げ場なんてない場所で、いつまでも終わらない戦いに身を置き続けていれば、誰だって否応なしに慣れてしまう。そうすることでしか人は平穏を保てない。体も。心も。

 慣れてしまって、苦しみも悲しみも感じない心は、果たして平穏なのか。それはもはや虚無ではないのか。たぶんそうなのだろう。愛することはもとより、生きていることにすら感心を抱けない、からっぽな心。

 けれども、人であることを、生きていることを諦めきれるほど、人は強い生き物ではない。迷い惑い続けることでしか、存在に意味を見いだせない。だから、慣れきってからっぽになってしまった心を平穏と偽り、その上に感情めいたなものを乗せて、自分がまだそこにいて良いんだと思いこもうとする。

 十文字青の「果てなき天のファタルシス」(星海社FICTIONS、1300円)に描かれるのはそんな、滅びゆく世界で虚偽と欺瞞の上に組み上げられた、人々のぎこちない姿だ。

 11年前に始まった、ファタルと呼ばれる正体不明の敵による襲撃で蹂躙された人類は、いくつかの街にこもって、それぞれを長い地下トンネルで結び、物資を融通しあってどうにか命脈を保っていた。そんな街のひとつ、朧市ではまだ学生の少年少女がチームを組み、手に武器を取り、一部に発現した異能の力を使いながら、ファタルを相手に戦い街の陥落を防いでいた。

 大海八尋という少年も、そんな戦う少年少女のひとりらしかったけれど、病院で目覚めた彼は、過去をまるで覚えていなかった。戦場で傷ついて運び込まれた訳ではなく、何か処置を受けていた最中に記憶を失った様子。自分が以前にどうやって戦っていたかの記憶も失われていたため、退院して戦線に復帰しても、前とは同じような戦い方ができず、チームを組んでいた仲間たちの中で、八尋は自分がやっかいものになっているような感覚に陥っていた。

 チームを抜けることはできない。前線で単調な攻めを繰り返すだけだったファタルが、穴を掘って防衛戦の裏側に飛び出るようにもなって、朧市の人類はだんだんと押され始めていた。そんなギリギリの戦いから八尋が身を退けば、仲間たちが傷つき、命すら奪われてしまう。だからと立った戦場で、やはり前にようには戦えず、貢献できない焦りを覚えて、八尋は不安と不満に身をよじる。

 その気持ちを、誰かを思い世界を思う人間らしさの表れだと理解することは可能だ。傷ついても苦しくても戦い続け、滅びるだけの運命に抗い、解放されるその日を夢み続ける人類の、パッションとロマンにあふれた姿をそこに見て取ることで、数多ある努力から勝利へと至る物語のひとつとして、この物語を受け止められる。感動もできる。

 ただ、どこかが違う。ひとり八尋だけが不安と不満を覚えていても、周囲からは同じような前向きで、強靱な行きたいという意志のようなものが欠けている。諦観とも、惰性ともとれそうな雰囲気が漂っていて、必死に焦る八尋を特別な存在へと押し上げている。

 八尋たちは確かに戦っている。仲間の誰かが傷つくのを恐れ、街のみんなが死ぬのを嫌って、苦しくても闘い続けている。そう見える。見えるけれどもどこかに、主体としての意志を覆う、与えられた義務のようなものが滲む。そうすることでしか生きられないという願いより、そうすることでしか居られないという思いが漂う。

 11年に及ぶファタルとの戦いの中で、人はもう慣れてしまったのかもしれない。苦しみに。死に。滅びにさえも。それでも、すべてをなげうつまでには達観できない人の弱さが、諦めないという執念や、守りたいという情愛といった感情を心に捏造して、未来の見えない戦いに理由を与え、続けさせているのかもしれない。だから勝てない。かといって滅べない。

 それは、現実の地球に暮らす人類ともどこか重なる。個々では諍いもあり、戦いもあって苦しみ、悲しむ声がこの瞬間も響いている。そんな中から抜けだそうとあがく情熱も見える。だた、総体としての人類が、この先にいずれ来るだろう滅びの時を、かわそうと必至になっているようには見えない。むしろ避けられないものとして諦め、今にとどまりながら、それでも人としての体面だけを取り繕っているようにも見える。

 そのことが当たり前になってしまった世界に必要なのは、過去を失い今に不安を覚える八尋のような存在なのかもしれない。焦りと迷いが諦めを埋めて、未来を切りひらく原動力になるのかもしれない。読み終えてそう思う人が少しずつでも生まれることで、平穏という名の虚無に溺れた人類に、今ふたたびの熱量が戻ばいいと、そう訴えようとした作品なのだとしたら。未来は暗くないかもしれない。それとも逆に、八尋の空回りを笑う作品なのどしたら。それもまた人類にとって必然なのかもしれない。

 ただ、わずかな期間にギリギリまで人類を追いつめてしまったファタルなのに、一気に人類を攻め滅ぼそうとはしないところに、ひとつの光明が見える。滅びの運命に慣れきってしまった人類が、それでも体面を保ち、少しの希望を抱き続けられたのは、まだ未来を感じられたからだし、八尋という異分子の登場もあって、これから熱量が増していく可能性もある。

 そんな八尋の正体に関するへの言及と、ファタルという存在が人類を滅ぼしきらない謎のようなものへの言及が、人類をまだ生かそうとする何かの意志めいたものを示唆する。人類の中にある滅びたくないという意識が集合し、重なったものなのか、地球という母なる星が、育んだ生命に対して抱く想いなのか、宇宙を統べる崇高な意志が、地球に現れた奇跡を守ろうとしてのものなのか。想像するだけでさまざまな可能性が浮かんで、物語に奥行きと広がりを与えてくれる。

 それと同時に、人類への激励も感じされるストーリーでもある「果てなき天のファタルシス」。まだまだ続くファタルとの戦いで、人類はいったい何を知るのか。それを読んで僕たちは何を感じるのか。あるのならこの続きを読んでみたい。いつ果てるともなく続く戦いに慣れきらず、諦めもしないで生き抜く力をもらいたい。


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