ブルーザー・ブロディ
私の、知的反逆児

 最初に目にしたのがいつかという、明確な記憶はないけれど、うろ覚えの中を探れば1980年頃、名古屋にある中京テレビで土曜日の昼間か夕方に、全日本プロレスの中継が行われるようになって、中学生にも見やすい時間帯だったことをこれ幸いと見始めた試合の中に、“毒グモ”アーニー・ラッドとうう、長身でネックハンギングツリーが得意なプロレスラーとタッグを組んで登場したのが、初めての遭遇だったような気がしている。

 とにかく獰猛そうなビジュアルで、もじゃもじゃ頭で髭ももじゃもじゃとさせたキングコングと呼ぶに相応しい容貌を持ったレスラーが、キングコングさながらに「ウオーッ」と吠えながらテレビ画面に映る試合会場の中を闊歩し、大暴れしていた記憶がある。ただ暴れるだけではなく、試合が始まれば技も巧みでドロップキックもなかなかなの高さを誇り、何より圧倒的にパワフルだった。

 これもテレビ中継が始まったことで、衰え始めていたジャイアント馬場の容姿をリアルタイムに近い形でテレビで見て、その平べったい胸板と体格からすれば細い腕に受けた衝撃の裏返しで、2メートル近い大男が巨体に見合わない身軽さで、リングの内外を飛びまわり歩き回る姿に、いっぺんにやられてしまってファンになった。その後は“スーパーフライ”ジミー・スヌーカとコンビを組んで、パワーにスヌーカのスピードを加えてとてつもなくエキサイティングなリングパフォーマンスを見せてくれた彼が、プエルトリコで仲間のレスラーに刺されて死んで、08年7月で20年が経つ。“キングコング”ブルーザー・ブロディ。まさに不世出のレスラーだった。

 若くしてブロディことフランク・グーディッシュと結婚したバーバラ・グーディッシュと、友人のラリー・マティシクが書いた「ブルーザー・ブロディ 私の、知的反逆児」(東邦出版、1714円)には、そんなブロディの生き様が身近にあったものたちの目を通して克明に語られる。大学でアメリカン・フットボールに親しんだこと。NFLのチームに入ってレギュラーの手前まで行きながら、チーム事情で断念せざるを得なくなったこと。新聞記者に転じ、それからプロレスラーとなって大学時代のアメフト仲間だったスタン・ハンセンと再開したこと。タッグを組んだり独自に全米を回って名を上げ日本へと至り、大スターとなっていく過程。それらが綴られている文章に思い出を刺激される。

 金にどん欲だったという後生の評判も、裏返せば搾取する存在への毅然とした態度の現れであり、プロレスラーという地位に抱く飽くなきプライドの現れか。正当な評価が得られなければ怒り移籍も辞さないという、そんな態度が衝撃の全日本プロレスから新日本プロレスへの移籍へとつながり、さらに新日本プロレスの態度に怒っての試合拒否、帰国、全日本への復帰へと至った。レスラーの処遇を第一に考える一方で、契約は絶対と筋を曲げないジャイアント馬場という存在の大きさを、改めてブロディも感じたことだろう。一度は“裏切った”ブロディを受け入れるほどに、その才能を馬場が買っていたという見方もできる。

 最後はそんな真っ直ぐな態度が、プエルトリコでの死につながったとは残念だけど、ショウアップされたプロレスが蔓延り、レスラーたちが役者というより単なるコマのように動かされる状況に、自分のプライドを頑なに守ろうとしていたブロディが耐えられるとも思えない。一時は世界の頂点に立ったハルク・ホーガンやリック・フレアーですら平気で使い捨てられる世界になじめそうもないブロディに、生きる場があるとは思えない。ひっそりと隠棲しているか、野垂れ死んでいるかでその勇姿を見ることはかなわなかったかもしれない。それともアブドゥーラ・ザ・ブッチャーのように老体にむち打ち、日本のリングに上がっているだろうか。それも楽しそうで、同時に寂しい姿だが。

 何しろ今に至るまで最強の外国人レスラーは誰かと聞かれて、断然トップにあげたくなるレスラーだ。スタン・ハンセンにアンドレ・ザ・ジャイアントの巨星たちがこれに続き、“美獣”ハーリー・レイスに“貴公子”リック・フレアーの新旧NWAチャンピオン、バーン・ガニアにニック・ボックウィンクルといったAWAチャンピオンたちが並ぶ。ブッチャーにスヌーカにドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクの「ザ・ファンクス」、千の顔を持つミル・マスカラスに弟のドス・カラス、リッキー・スティムボートにバロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラップ、フリッツ・フォン・エリックの息子たちといった面子が並ぶ。ブロディの活躍といっしょにに見た記憶のあるレスラーたちばかりだ。

 つまるところプロレスの中心はブロディで、側をジャイアント馬場とジャンボ鶴田が固めてそしてハンセン等の外国人レスラーたちがひしめいている構図が今もって消えていない。というより消えようがないくらいに強烈な印象をブルーザー・ブロディというレスラーは残してくれたし、同様にそう感じている人も多いのではないだろうか。そんな人たちには諸手を挙げて歓待されること請け負いの「ブルーザー・ブロディ 私の、知的反逆児」。そうでない、最近になってプロレスの存在を知った若い人でもそんな不世出の、そして最高のプロレスラーがいたんだということを教えてくれるだろう。

 改めて、合掌。


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