環状白馬線 車掌の英さん

 世界をまたにかけ、自分の存在を広くアピールできるような仕事がしたいと、そんな思いで大きな会社に入ったところで、できることなんて組織の歯車になって、利益のためだけに何かを右から左へと長すくらい。商社なら物だし通信社なら情報。それはそれで大切なことだけれど、それだけが世界とつながる道じゃない。

 たったひとつの場所にいて、通り過ぎていく大勢の人たちに精一杯のもてなしをしてあげることだって、実は世界とつながっている。大勢の人たちがその先に歩んでいく世界を思うことで、世界を感じることができる。たったひとりが見られる世界なんて限りがある。それならば大勢の人たちが見る世界を、自分のものでもあると感じた方が、より広い世界への慈しみを抱ける。

 車掌、という仕事は電車の中から動かない。環状線、という路線ならなおのこと同じ場所をぐるぐると回り続けて外には出ない。だからといって世界をまたにかけて飛びまわる仕事に比べて、劣っていることなんてない。優れているとも言わない。それぞれが精一杯に日々の仕事に勤しむことて、人々の輪は広がり、世界へとつながっていくのだと、都戸利津の連作コミック「環状白馬線 車掌の英(はなぶさ)さん」(白泉社、524円)が教えてくれる。

 とても幼い頃に、白馬線というシティをまわる環状鉄道の中に置き去りにされてしまった子どもがいた。車掌さんに拾われ、そのまま見習いの形で車掌の仕事を始めて幾年月。いまはすっかり環状白馬線の“名物”になって、「乗り合わせると幸せになれる」という不思議な評判が立つほどまでになった。

 といっても、別にヒーローめいた大活躍をする訳ではない。むしろ愚直なまでに仕事だけにとり組んで、他には何もしない英さん。けれども車掌としてとり組むその仕事こそが大勢の人たちの気持ちに光を灯し、道を示して明日を与え、それが結果として「幸せをもたらす」伝説となって積み重なっていく。

 どこかの子どもが家では飼えないからと電車に残していった犬を、もらったお金の分だけ置いて子どもの再来を待っていたら、子どもが親を説得して戻ってきて、犬は幸せな家庭へと引き取られていった。その犬がやがて大きくなった時に、ひとときを一緒に過ごして匂い覚えていいた車掌さんが持っていたリボンが、譲られ結び付けられたトランクに吶喊をかける。

 リボンが結ばれたトランクを持っていたのは、職を失いシティにやってきた青年。ちょっと前まで白馬線に乗って、英さんから前向きになる気持ちをもらったばかりだったりする彼は、犬に追われて飛び込んだ店で見事に職を得る。

 そんな出会いの積み重ねが描かれていく連作集。ゴンドラの仕事を通していろいろな人に幸せを与えた天野こずえの「ARIA」にも相通じる、人の心のつながりがもたらす素晴らしさが描かれている。いつも夢見がちなところを持った水無灯里と、愛想がなく口調もぞんざいな英さんとはずいぶんとタイプは違うけれども、こと仕事への前向きさには相通じる物がある。とてもある。

 旅をしながらスケッチを描き溜めている青年が、英の働く鉄道の操車場列車の掃除を初めて、英と知り合うエピソード。捨てられた時から同じ窓からの景色を見続け、同じ車内の光景を見守り、同じような毎日を繰り返しているだけの英に、青年は遠くに行こうと誘いかける。スケッチを通してみた世界の姿に、英の心も揺れ動く。世界は広い。そして自分は……。

 けれども英は街に留まり車掌の仕事を続けることを選ぶ。「あんたと会うまで世界の広さを知らなかった」「白馬線しか知らなかった」「今も知らねぇ」。「けど」「俺の知らねぇ所の人たちが歌って」「俺の所へ朝が来るなら」「俺が白馬線に乗って」「俺の知らなねぇ所で何かが生まれてるかも知れねぇ」「それでもしも」「誰かが幸せになっていたらいいな」。

 遠くをめぐっていろいろな人に出会い、景色を見ることが世界を知ることと同じとは限らない。同じ場所にいて、車掌としての仕事を一所懸命にこなすことで乗り合わせた人たちの気持ちを幸せにし、それが大勢の人の幸せへと連鎖してくことによって、自分もまた大きな世界の一員になれるのだと英は感じ取った。だから車掌を選んだし、これからも車掌であり続ける。

 息詰まるような時代。思い通りにならないから、あるいは何をするにも嫌気が先走って熱心になれないことだって少なくないけれど、だったら無理に動こうとしないで、ひとつ箇所から見渡してみることも必要なのかもしれない。

 女性のようなビジュアルに惹かれる人もいそうな英さん。男性キャラクターだかといってがっかりしることはない。男性だからこそのぞんざいで、つっけんどんと態度から、逆に内心に秘めている真っ直ぐさのも浮かんでくる。動物の見分けが突かず、小さい犬を変な猫だと言う英さんの物知らずぶりも、生真面目そうなビジュアルとのギャップになっておかしさを誘う。

 1巻物として終わりのようだけれど、同じ英さんでも良いし、別の誰かでも構わないから、淡々とした仕事ぶりの中に前向きさを感じ、成長を味わえる物語を作者には紡いでいって欲しい


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