虐殺器官

 イビチャ・オシムは語る。「言葉はきわめて重要だ。そして銃器のように危険でもある。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」(木村元彦「オシムの言葉」より)。

 ボスニア・ヘルツェゴビナに生まれ、ユーゴスラヴィアの代表として東京オリンピックに出場したサッカー選手。そして、90年のワールドカップイタリア大会でユーゴスラヴィア代表をベスト8に導いた名監督。数え上げればきりのない栄光を持ちながら、紆余曲折を経て日本の小さいサッカーチームで監督を務め、その成果を認められ2006年夏より日本代表の監督に就任した男が戦争について、言葉について語っている。

 なぜか。オシムは知っているからだ。言葉が親しかった人の間に壁を作り、やがて血みどろの争いへと誘う力を持っていることを。オシムは見てきたからだ。言葉に煽動されて、善良だった人たちが正義を忘れ暴走する様を。悪罵に怒り甘言になびいて、我を忘れた人たちがもたらした死の数々を。果てにたどり着いた祖国の後戻り不能な崩壊を。

 だから、オシムは言葉を侮らない。どんな言葉にも意図を見出し、意図なき言葉に警戒しては流されないように釘をさす。だがしかし、それで十分なのだろうか。言葉に耳を傾け意を汲み道を誤りさえしなければ戦争は起こらないのだろうか。表に絶対に見えない意図を背後に隠した言葉が民族を、国を、世界を脅かすかもしれないと、伊藤計劃は「虐殺器官」(早川書房、1800円)という物語で示して訴える。

 2001年9月11日。ニューヨークにそびえたつツインタワーが崩落してから世界では、同じ国に暮らしながら異なっている民族が諍い、異なる思想を持った者たちが憎しみ合って諍い血を流し、殺し合うようになる紛争が続出していた。超大国が力によって締め付けていたタガがはずれたからなのか? それならば改めて締め付ければすぐに世界は安寧に向かう。しかし世界の紛争は潰しても抑えても様々な場所で噴出する。

 いったい世界で何が起こっているのか? 収拾に向かった米情報軍のクラヴィス大尉は、いずれの紛争地でも背後にジョン・ポールなる人物が現れ暗躍していたことを知る。ジョン・ポールとは何者か? 貧困や紛争にあえぐ国に顧問として入り込んでははじめ、国の窮状を世界に向けて訴える活動に大きな貢献を果たす存在だった。

 まさに救世主。国の仲間たちからジョン・ポールは讃えられ、未来には大きな可能性が広がりはじめる。しかし。程なくして国に不穏な空気が漂いはじめる。人心に疑いの気持ちがわき上がっては小さな諍いが生まれ、大きな争いへと発展して血が流れ、命が奪われそしてただただ憎しみ合い、殺し合う虐殺の土地がそこに生まれる。

   どうして世界は暗黒へと向かったのか。その核となるアイディアの部分が、物語では体的にはどういったものかが示されず、何をどうしたからそうなったのか、というプロセスを体感できない。これは一種の強みでもあるが、同時に大きな弱みにもなっている。具体的な例示を避け、観念で可能性を示唆する手法そのものは否定はできない。ページの足りない短編や中編ならば、結果として起こる事象から受ける恐怖や戦慄に身震いしつつ、観念としての原因に思いをはせれば良い。

 しかしこれは長編だ。そして言葉の持つ可能性を探求し訴える物語だ。具体的な言葉をつまびらかにはせず、方法論をも公開を拒否している部分に言葉への重さとは反対の、いかにも軽く言葉を扱っているような違和感を覚える。それともあまりに恐ろしい方法論だけに、実際に使われてはいけないと敢えて示さなかったのか。魔法の登場するファンタジーでも物語に魔法の呪文を正確には書かないというし。

 ただ、そうした観念的過ぎる部分を覗けば、世界を俯瞰して起こっている虐殺であったり、内乱といった事象を勘案した上で、その背景に核となるアイディアを持ってきた点は巧い。また、そうした活動の奥の奥に鎮座する陰謀者の存在にも納得がいく。それほどまでにして世界の王者として君臨したいのか、という疑念は当然生まれるが、そうやってあの国は誕生し、成長して来たのだから仕方がない。

 もっとも、それほどまでの存在でありながら、世界を揺るがす脅威が自らに跳ね返って来ることを想定して、何らかの抗策をとっていなかったのかという疑問も同時に起こる。毒薬を撒くなら解毒剤は必須。病原菌ならワクチンくらい用意しておくべきだろう。それとも、一切の予防的な対抗策が効かないくらいに、憎悪や嫌悪といった感情は、人間の根元に潜み拭えない業だというのか。だとしたらあまりに哀しすぎる。いくら言葉に気を付けようとも戦争は起こるということになるのだから。

 いや違う、断じて違うとオシムなら言うかもしれない。言葉が諍いをもたらすように、言葉は情愛も招き得る。言葉の危険を理解し、言葉の危険を避けて使う方法を学びさえすれば、言葉は永遠の平穏を地域に、国に、世界にもたらす。クラヴィスは逃げた。閉じこもった。しかしオシムは逃げないで戦っている。悪意の言葉が放つ力に悪意を祓う言葉を返して抵抗している。その長く深い経験に裏打ちされた言動を学び知ることで、サッカーのみならずすべての事柄で、人間は平穏と安寧を招き得ると知ろう。


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