群衆の悪魔 デュパン第四の事件

 史学科などというところを卒業すると、「さぞや歴史にお詳しいんでしょうね」とばかりに、歴史に関する質問を投げかけて来る人もいる。実のところは専攻した東洋史ですらおぼつかない有様で、漢や隋や明や清がいつからいつまで続いたか、都はどこか、初代皇帝はといった基本的なことすら、まったくと言って良いほど覚えていない。

 ましてやフランスの歴史など、よほど大きなトピックしか覚えていないのが実状で、それすらもジャンヌ・ダルクが100年戦争の時にいたとか、1789年にフランス革命が起こったとか、1800年頃にナポレオンが登場したとかいった程度の、最近では小学生が中学受験に覚える事柄の半分にも満たない、狭く拙い知識でしかない。

 フランス革命、いわゆる「大革命」からナポレオンの登場、そして失脚へと至る過程なら、なんとなく思い出せもするが、それは例えば「ベルサイユのバラ」を読んだとか、「ナポレオン」の伝記を読んだとかいった、教科書ではなく漫画や小説から得た知識であって、社会的背景や歴史的な位置づけを、体系だって知っている訳では決してない。ナポレオン以後となると、頭の中の年表は真っ白のままか、真っ黒に塗りつぶされているかのどちらか。年表に再び文字が入るのは、19世紀末頃になって芸術家たちがパリに集うようになり、エッフェル塔が建ち、アール・ヌーボーやらアール・デコやらの芸術運動が興って来る、100年近い先になってからのこととなる。

 笠井潔の最新長編「群衆の悪魔 デュパン第四の事件」(講談社、2000円)は、自分にとっての暗黒時代(フランス革命前後のみが、ほの明るいだけなのだが)にあたる、「二月革命」が勃発して国王のルイ・フィリップが放逐された、1848年のパリを物語の舞台としている。わずか4カ月ほどの期間を描いているだけに過ぎないが、「大革命」によって倒された王政がナポレオンを経て復活し、再び倒れるという歴史の流れを背後にいただきながら、現在の(つまりは1848年の)物語が組み立てられており、「二月革命」の意味を理解するのみならず、「大革命」からナポレオン三世の登場へと至る、自分にとっての数多い暗黒時代の1つを埋める、格好の史料となった。

 「群衆の悪魔」で描かれているのは、1948年の4カ月間に、2人の男が邂逅し、激動のなかで発生した連続殺人事件へと挑み、再び分かれていく物語だ。主人公となるのは、詩作の道を歩もうと苦闘しているものの思いかなわず、評論などを書きながらその日食べるがやっとという暮らしをしている青年、シャルル・B=デュファイス。革命の機運盛り上がるパリの街頭で、民衆の側に混じって取材に当たっていた「プレス」紙の記者ヴァランスが、対峙していた官憲側ではなく民主の側から、背中に銃弾を受けて殺害され、そのまま革命へと突入していった場面を目撃したシャルルは、かつてモルグ街で発生した大猿による殺人事件を解決し、パリ中にその名を馳せながらも隠遁生活を送っていた勲爵士(シュバリエ)、オーギュスト・デュパンのもとに相談に行く。

 デュパンは旧知という「プレス」社主のジラルダン、そしてその妻デルフィーヌへと面会を重ねていくうちに、デルフィーヌから照会されて会いに行った子爵夫人ジュスティーヌが、中空より滴り落ちて来たという毒の入ったワインを飲んで殺害されるという現場に居合わせることになる。ジュスティーヌが生前に残した依頼によって、ジュスティーヌの出生の秘密を握る人物を追い求めて行くうちに、シャルルとデュパンは次々と起こる殺人事件に遭遇する。

 「私生児」という出生のいわれなど、秘密どころか社交界で成功するためのカードにすらなりえる当時のフランスで、ジュスティーヌやその他の人々を殺してまで消し去りたかった秘密とは何か? 大革命以後も復活してはその命脈を保ち続けて来た王政が本格的な瓦解へと向かい、産業が起こり資本主義の道を進み始めたその影で、共産主義の赤い旗がじわじわと浸透し始めた複雑な時代を見つめながら、デュファイスとデュパンは事件の謎を追って、短いならがも充実した時間を過ごす。

 オーギュスト・デュパンがエドガー・アラン・ポオの3つの短篇に登場する、史上初の「探偵」であることは周知の事実だろう。シャーロック・ホームズの登場する小説が、今なおミステリーからSFに至るまで、様々なジャンルの作家たちによって書きつがれているように、ポオの死とともに、いったんは永遠の彼方へと消え去ったデュパンの復活を願う人たちも、決して少なくはないと思う。だが作者の笠井潔が、デュパンに「第四の事件」を解決する舞台を与えたのは、果たしてヂュパンへの、あるいは生みの親であるポオへの、限りない愛着だけだったのだろうか。

 探偵小説を物する人間である以上、デュパンへの愛着はあったと思う。またポオへの愛着も、各章の始まりに挿入されるポオの作品からの抜粋と、それらの作品が描いているモティーフの自作への挿入といった所から、充分にうかがえる。なかでも「群衆の人」からの啓発は、パリのパサージュを訪れたシャルルとデュパンが、パサージュに群れ集う様々な階級の人々をながめながら議論する場面(第三章第三項)をはじめとして、貴族社会が没落し、かわって市民たちが力を持ち、社会の表層へと現れて来た時代を描いている、この小説の全編に満ちている。

 だがこれは、ポオへのオマージュであると同時に、戦後の日本がくぐり抜けてきた様々な事柄への、笠井潔自身のオマージュのような気がする。笠井潔が蘇らせたデュパンは、革命家ブランキとの対話の中で、「革命の意味は、革命それ自体にある。しばしば、それが掲げるところへの目的、政権の打倒や理想社会の実現などにはないんです。革命は宗教が死に絶えた十九世紀の文明国で、唯一可能な現実世界の奇跡だ」(314ページ)と話す。さらに「革命を人為的に惹き起こそうとしても、それは不可能というものだ。いや、そのような作為はむしろ冒涜的なものともいえる」とも。

 日本でも60年代、70年代と2度にわたって「革命」の機運が盛り上がり、その都度若者たちはキャンバスで、あるいは街中に出て叫び続けた。しかし民衆は動かず、先鋭化した運動は逆に民衆によって忌避され、「革命」は知らず終焉していった。宴の悪魔がそこかしこで微笑み続けた黄金と喧噪の80年代を過ぎ、90年代に入って、日本は未曾有の不景気から今なお脱しきれず、今なおもがき苦しんでいる。

 政治家の腐敗、官僚の専断、企業の横暴がクローズアップされ、それらに対する民衆の反発心が芽生え始めているこの時期に、フランスでかつて起こった革命とその後の歴史を総括して、現代への糧とする点で、1つの指針となる小説だろう。「起て」と呼びかけている訳でも、また「起つな」と呼びかけている訳でもなく、人によって受け取り方は様々だが、笠井潔がこの時期に、1848年の革命になぞらえて、自らの経験の総括した意味を、強く受けとめる必要があると思う

 最後に反省を1つ。シャルルの正体に最後まで思い至らなかった自分は、やはりとんでもない歴史音痴であり、文学(とくに詩歌)音痴だ。なにしろポオの生きた時代を、1800年代末か1900年代初頭だとばかり思っていたほどの愚かさぶり。この無知が、本筋とは関係ないところで、もう1つ謎解きの醍醐味を味会わせてくれたと、自らを慰めることにしよう。


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