現代美術ガンダム

 見ると直感的にグッと来るモチーフというものがあって、例えば黒い丸の上に2つ、丸が耳のように飛び出ている形を見ただけで、アナハイムとかフロリダとか浦安とかに蔓延る例のネズミと気付いてハッとする人は結構多い。ピンクの色に白い楕円の形だけで、多摩の山奥で踊るネコを思い浮かべるファンシーな人もきっと大勢いるだろう。エンターテインメントのルートから擦り込まれたモチーフを人はどうしても無視できないものらしい。

 ミナミトシミツと勢村譲太という2人のアーティストが制作した作品は、ネズミでもネコでもないけれど、ある世代のある人たちにはグッと来るどころかグググググッと引きつけられるモチーフが現代美術の中に取り入れられているから、感涙なくして見ることがちょっと適わない。何が入っているのか? それは「機動戦士ガンダム」だ。去年が誕生からちょど20周年だった「機動戦士ガンダム」のあの姿、あのデザイン、あの雰囲気をちょろりとまぶされるだけで、ファンはもうそこに何らかの”電波”を感じてしまって目をそらせない。

 「現代美術ガンダム」(リトル・モア、1800円)はそんな2人の「ガンダム」絡みの作品を集めた作品集。迷彩に塗られたカンバスの中央部分にすっくと白地のシルエット部分を抜いた作品を見て、そこに浮かんだシルエットをファンはもう放ってはおけない。あるいは人肌に黒く染められた形を見て、ファンは興奮を覚えずにおかれない。知らない人が見れば何やらヒトガタに抜けたギザギザな面でしかないそのシルエットを、並のファンなら「ガンダム」らしいデザインと気付いて目を向ける。熱烈なファンは具体的な型式までをも口にして指摘し、かつ誰のデザイン誰の設定画から頂いたデザインかまでをも当ててしまうだろう。羽根ペンの軸のような雲形定規のような赤い形は知らない人には羽根ペンの軸か雲形定規とした思われないが、分かる人にはすぐに分かる、シャア専用の額の角だと。

 もはや世代にとってのイコンとも言えるガンダムだからこその興奮だが、一方にやはりそれだけのデザインをガンダム自体が持っていた、ということにもなるのかもしれない。ガンダムのプラモデル、すなわち「ガンプラ」のパーツを鏡にの上に一切の加工を施さずそのまま並べた作品は、バンダイに特徴のあらかじめ色が付けられた「色プラ」ならではのカラーリングの多様さと、プラモデルのパーツの複雑怪奇な、それでいてよく見るとたいていが線対象になった形状の左右の部品が並んでフレーム内に取り付けられていて、それが方形のフレーム内に整然と収められている凄みが改めて突きつけられて面白い。

 ガンプラのパーツを袋からあけて部品がフレームに付いたまんま平べったい布か板の上に並べて迷彩色を施した2点は、ともすればプラモへの冒涜と見られかねない懸念をはらむ。しかしながら「迷彩色」を施してあるとうい1点で、決してヒーローなどではない、兵器としての「モビルスーツ」というテーマを血肉のレベルで認識したのだろうと取れる。後で組み立てれば御覧ほら、迷彩色のガンダムがそこに立ち上がっる訳だから。フィギュアを単に組み立てて乱暴に色を塗って若者の造形文化を表現したと標榜した作品に比べると、本来の「ガンプラ」さらには「ガンダム」が持つ思想性をアートの段階にまで引っ張り表現したものと、言って言えないこともない。

 コギャルをガンダムに見立ててアニメの名場面の中にはめ込んで描いた絵が、雑誌などで紹介された「コギャルの原点はジオン軍のモビルスーツ、だって足太いしスカートつきだし」という指摘とはいささか異なってはいても、ロボット的に鈍重な足の雰囲気だけはガンダムも共通に持つディティール、コギャルのディティールにそれなりに重なって見えて面白く吹き出す。「ガンダム、大地に立つ」のトレーラーからガンダムが足を1本地面に落としてさあ立ち上がるぞ、といた場面を女子高生におきかえた「女子高生、大地に立つ」は、下からのアオリも効いてて女子高生の巨大感がよく出て笑える。

 同じく絵画シリーズでは最終43話の「脱出」にインスパイアされたタイトルも同じ「脱出」という作品も、ア・バオア・クーの中を自動で歩いた首のとれたガンダムがビームライフルを上に向け、シャアが乗っているジオングの首を撃ち抜く場面が、そのまま短いスカートにルーズソックスの女子高生(当然首なし片手もなし)になっていて気持ちが和む、ああ懐かしい。巧みな絵という訳では決してないが、このあたりでの抑えぶりが逆にアニメの泥臭い雰囲気を醸し出していて、ガンダムとゆーモチーフと女子高生とゆーモチーフが、うまく噛み合った作品になっているように思う。

 ビーチのようなコンサートのイベント会場のような場所での集合写真の背後に、ガンダムとザクが絵で立ってる作品も、CGの時代にチープでローテクではあるけれど、日常に交じり込む非日常といった感じの違和感が浮かんでグッとくる。テレビの中に見たリアルが現実の世界ではいかに不気味なものなのかを指摘する作品と言えなくもないが、それより先にこうした光景が現出して欲しい願望を抱いている自分に気付き、そこまでガンダム世界が、あるいはアニメのモチーフが脳内に浮かぶ「ビジョン」に強い影響を与えているのかを改めて突きつけられる。

 「僕たちのリアル」はもはやガンダム抜きでは語れない。だからこそ「現代美術ガンダム」は芸術として立派に気持ちを奮い立たせる。ギャグともパロディとも違う何かを感じさせる。爆発するサブカルチャーあるいはオタクの洗礼を経た世代が作り出す5年後、10年後のアートが楽しみになって来た。その時にモチーフとされるのは「セーラームーン」(すでに太郎千恵蔵が行っている)か「エヴァ」かそれとも他の何かか。見せて欲しい「君たちのリアル」を。


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