警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官

 これはすごい。本当にすごい。第12回「このミステリーがすごい!」大賞から登場した、梶永正史による「警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官」(宝島社、1470円)は、過去にも「このミステリーがすごい!」という、時に大げさに響きかねない冠を戴いて登場したミステリーたちの中にあって、誰にはばかることなくその栄冠を誇示して構わない作品だ。

 父親の後を継ぐようにして刑事になった32歳の女性、郷間彩香が物語の主人公。所轄を経て今は警部補にまで昇進し、警視庁の捜査二課にいて主任代理という立場にあるからノンキャリアではまずまずの出世ペースと言えるだろう。

 もっとも、そんな経歴だからか彼氏はおらず、部下から信頼はされても親しまれているような感じはない。それでいて身だしなみには気をつかい、ブランドのスーツを着込んでカバンも靴もブランド物固めたりしと、女性としての自分を捨ててはいない。普通の会社に勤めている、今どきな感じのアラサー女性といった雰囲気を見せている。あるいは必死に見せようとしている。

 そこにちょっとした可愛らしさを感じたりもするけれど、そういう可愛らしさを理解してくれる男がいたら、アラサーで独身で彼氏もいないような状況には置かれない。部下に皆で飲みに出るけど行きませんかと誘われ、気まぐれからそれに応じて逆に驚かれるくらい、浮いた話とは縁遠い雰囲気を醸し出していた、そんな彩香に突然、難題が降りかかる。

 渋谷の交差点にある銀行で起こった強盗による立てこもり事件で、犯人がなぜか彩香を現場指揮官にするよう要求して来た。どうして自分が? 理由も何も分からないまま現場に急行した彩香はそこで、警視庁の特殊捜査班に所属する警部の後藤に疎んじられ、警察庁からやって来た吉田というどこか得体の知れない、目的もわからない男にうろちょろされながらも、自分なりに最善の道を探って奮闘する。

 交渉のために衆人が監視し、メディアも中継する中を銀行へと近づいていって、そこでピンヒールがマンホールの穴に刺さって身動きとれなくなるようなドジっ娘ぶりも見せて、妙な評判を醸し出したりもする彩香。そんな意外な可愛らしさを世に見せて、彼女の恋を成就させようという思惑が犯人の側にあった訳では当然ない。もっと複雑な、そして驚くべき戦後史の闇に絡んだ事情が浮かび上がって彩香を、そして読む人を戦慄させる。

 本当にそんなことがあるのか。そんな企みを持っているのか。事実だとしたら驚くべきこと。密かに、そして巧妙にめぐらされた糸のようなものが人の心を絡め取り、組織を置かしやがてこの国を縛って、とんでもない場所へと連れて行くような可能性に、その真否を確かめたくなる。もっとも、誰にも確かめようがないからこその闇なのだろうけれど。

 そんなマクロレベルでの陰謀に、警察官としての矜持なり警察組織ならではのしがらみといったミクロレベルの要素が絡みあって作り出される極上の舞台。その上で、アラサー女性の不満と希望を全身で体言したような郷間彩香を筆頭に、どこか奇妙な言動を見せる警察庁キャリアの吉田や、彩香に対してマッチョな態度でいながら、同じ警察官として犯罪を憎み、平和のために働くことでは真っ直ぐな後藤警部ら、生き生きとしたキャラクターたちが立ち回る。

 無関係に見えた者にも、その意識とは別に役割が与えられて物語に絡み、敵にしか思えなかった者、逆に味方と思っていたはずの者がその立場を変えて物語を動かしていく。これが面白くないわけがない。すごくないはずがない。次にいったいどう転ぶのかを、常に楽しませてくれる。

 そんな物語から浮かび上がったとてつもない大きな仕掛けを、この1冊で終えてしまうのはもったいない。きっとほかにもいろいろと材料が用意してあって、別の物語として描かれるものと信じたい。彩香も絡んだシリーズとして登場するにしても、別の誰かを主役に据えるにしても、驚きの逆転劇を読ませてくれるだろう。

 冒頭に綴られた彩香の遠い日の記憶が、物語の中にしっかりと根を張り、現在とつながって来る構成も見事。そんな経験を経て彩香は、惰性で生きているような雰囲気を醸し出していたアラサーとしての自分を見つめ直し、真剣に生きることの意味を感じ取っただろう。それはそのまま読む人の経験となり、感動となって人生に刺さる。

 だから読もう。読んですごいと唸り、素晴らしいと喝采を贈ろう。


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